サブカル回顧録

ゲームやコンピュータ等、一昔前の語り草

Windows時代へ③ 98&NT4.0 当時の環境編

 今回は前回に引き続き当時のソフトウェア事情を語ってみようと思う。

setoalpha.hatenablog.com

最初に前回の補足から少々。

例のCeleron 266Mhz@SL2QGを買ったときだが、その当時BIOSを全く更新しておらず、そのままマザボに載せてベースクロック100Mhzで動かしたらCeleron 400Mhzと出てもおかしくないのになんとPentiumII 400Mhzとして認識してしまったというのには笑ってしまった。この誤認識を考えても、やはり当時のSL2QGのCeleronはコアに関してはPentiumII 400Mhzと同等品を使っていたということなんだろう。その後BIOSを更新したら普通にCeleron400Mhzと表示されてちょっと悲しかったけど。

さて、Windows98からNT4.0時代に関してのソフトウェアだけど、基本98でゲーム系、NTでそれ以外と言う感じで使い分けていた。特に主にCD-Rの焼き込み処理として、それまではEasyCD系を使っていたんだけど、NT系に対応していないことが厳しくて変更した。そのときに選んだのがNero。このNeroが当時としては非常に画期的な機能を持っていた。

98年ぐらいから99年にかけて、一部の間でMp3が話題にもなった時期でもある。今でこそ当たり前のようにあるMp3だけど、当時はまだまだグレーゾーンみたいな感じで、音楽CDをリッピングしてMp3で配布するということをやってた人もいたぐらいだった。

そんな中、Neroが当時として画期的だったのはVer4の途中からいち早くMp3に対応したことである。まだMp3が全く知られていなかった時期に対応したというのは非常に大きく、すでにMp3で一部曲をパソコンを使って管理していた自分にはまさに渡りに船。またMp3から直接音楽CDが作成できたということも輪をかけて素晴らしかった。それまではMp3をわざわざWavファイルに変換しなければ作成できなかった音楽CDであり、まだまだ当時はHDDの容量も少ない時代。音楽CDの最大容量でもある700MBを確保するのすら厳しかった中、このNeroがダイレクトにMp3から音楽CDを作成出来るというのは本当に素晴らしかった。まだ当時はMp3プレイヤーなどもなく、ポータブルCDプレイヤーやMDしかない時代。当時このNeroを使ってCD-Rに音楽を焼いて音楽CDとして使っていたものである。

また、NeroのMp3のエンジンには当時高音質と言われたFraunhofer IISを採用してたことも大きかった。やはり同じMp3化するなら高音質のほうが気持ち的にもよかったこともある。

このNero4.0の導入は自分にとってはかなり大きかった。まずNT4.0でも動いてくれること。またCD-Rドライブが当時出ていたものであればほぼ対応してたこと。当時はCD-Rを買い替えており、すでにTeacの名機とも言われる55Sを導入していたのだが、対応していないライティングソフトが多数あったりしたのだが、このNeroはすぐに対応してくれたことも大きかった。

同時に持っている音楽CDをMp3化する作業もスタートした。すでに当時持っていたラジカセはほとんど壊れている状態(CD部は音飛びがひどく、カセット部も壊れかけてた)だったが、スピーカーとして使うことで5年以上は延命が出来た。今では当たり前と言うべきスマホやパソコンを使って音楽を管理するということをすでに90年台後半からやり始めたわけだ。当時このデータとして音楽CDをMp3で管理するというシステムを自分がやり始めたが、周りの知り合いもそれに習い、最終的に自分の周りではほぼ大半がパソコンで音楽を管理するようになり、音楽を聴くときもパソコンで聴くと言うスタイルを確立していった。まあ、一部からは理解されていなかったが…。まだまだ当時は音楽はプレイヤーやコンポなどを使って聴くという時代だったのである。

そして当時使っていた音楽プレイヤーはWinAMP。今や枯れたソフトとも言えるべき存在であるが、当時は軽さや使いやすさすべてを含めて非常に使いやすいソフトであった。

少し話はそれるが、このMp3が一部で普及し始めた時期と音楽ゲームbeatmaniaシリーズやDance Dance Revolutionシリーズ(通称DDR)が社会現象になったのがほぼ同時期でもあったこともあり、このbeatmaniaDDRの曲が一部で出回ってたということもあった。特にDDR2ndMIX時代の熱狂っぷりはすさまじく、サントラがなかなか出ないこともあり、DDRに収録されていた曲の入ってるダンスマニアシリーズはやたら売れていたし、コナミオリジナル曲でもあるTrip MachineやPARANOiAはサントラが出るまで聴けないということもあって色々とあった。当時DDRは2ndMIXまでは筐体のCDにそのまま音源がWAV形式として収録されていたということもあって、それをリッピングしてMp3化して一部で流出していたというのも当然あり得た話で、まだまだインターネットの普及率が低かった時代、さらに少ない横のつながりがある一部のユーザーにだけその恩恵が受けられていたというのも納得できる。このDDRシリーズは3rdMIXをピークに徐々に衰退していくのであるが、それでも3rdMIXまではどこかしらの掲示板でシリーズのMp3を稼働直後から希望する人があとを絶たなかったのも事実である。

そんな中、自分はNT4.0を起動して基本WinAMPを使いつつ作業をしていた。この時代からインターネットを導入してたということもあり、主にパソコンの使いみちは音楽を聴く&ネットをすると言う感じで、今の時代の使い方をあまり変わらない。ただ当時は選ぶソフトがかなり違っており、ブラウザはNetScape、音楽ソフトにWinAMP、そして連絡ソフトにICQ、最後に集団連絡用のチャットソフト

ブラウザに関しては当時はIEがまだまだ話にならない時代で、今ではNetScapeは配布すらされていないものだったが、当時はこっちのほうが十分性能が高かったこともある。当時は複合ソフトがあったこともあり、メーラー機能も付いたComunicaterを使っていた。

そしてICQ。こっちも今や枯れたソフトであるが、今で言うSkypeの前身的なソフトであるがこれも基本起動と同時につなげていたものだ。当時はまだまだ電話代等も固定ではない時代で貴重な連絡ツールでもあった。

最後にチャットソフト。これは説明すると少し面倒なのだが、一人がサーバー起点として起動してそれぞれがクライアントとしてその一人のサーバー起点にアクセスするというソフトでもある。こっちは複数人で話をするのに向いており、今で言うLINEのグループチャットに近いのだが、リアルタイムでは接続してる人しか内容はわからないので、グループ会話出来る電話がチャットになったという感じといえばわかりやすいかも。ただ、当時はインターネットの速度も遅く、このチャットソフトはその通信速度の軽さもあって、非常に快適に動くものであった。このソフトは実はある時期に頻繁に使っていたもので、周りには使ってる人はあまりいなかったと思う。この時代はどこかのHPに気の合う人たちが集まってHP上でチャットをするというスタイルが大半で、クローズドとかそういう感じではなかった時代なのである。

基本このあたりのソフトを中心に使い、あとは秀丸エディタ等を用いていろいろと作業をしていた。というのも、この時期は例のお化けフリーソフトでもあるBM98が出現した時期。自分も楽しんでいた時代で、やりたい曲がないという理由で自分でも作成してたこともあり、BM98本体はNT4.0では動かないのだが作成時は当初秀丸エディタを使って手打ちで作っていた。なにせ初期の初期から手を出していたので、まだ作成ツールとかも全く無くあるといえば再生ビューワーのみ。それも初期に出たやつ。いちいち手打ちして保存して再生してと言う感じでものすごい手をかけて作っていたこともあり、安定性の高いNT4.0で作っていたのである。

またHPをこの頃作成してたということもあって、NT4.0上で作成をしていた。なにせHPビルダー等のソフトも最初は本当に使い勝手が悪かったので、自分はとりあえず手打ちで全部作っていたこともあり、秀丸エディタはこう言った作業にも使っていた。手打ちで不正処理で落ちると本当に泣くに泣けないことになるので、これだけは本当に安定しててよかったなと心から思ったものだ。

大体こんな感じでこの時代は動かしていた。正直インターネットをしてたことで中心に動いており、そこから入手したいろいろなソフトや情報を組み合わせて楽しんでいたのだが、その楽しんでいたほうがWindows98の方になる。NT4.0はゲームを中心としたソフトの対応がまだまだ辛く、こういった作業的な感じで使うことぐらいだった。ただ、その安定性は非常に高く、こういった複合的な作業をしていてもソフトが不正に落ちたりといったことも少なく、かなり快適なパソコンライフをおくっていた。この快適と言うのは当時としては非常に重要なことで、Windows95や98ではその快適ささえもなかなかおくれない時代だったのだ。なんだかんだで1~2時間で1回は再起動するのが当たり前だったのである(当然人によるとは思う。メーカー品を買った場合は本当にそんな感じで、自作して最低限の環境にしてた人はそこまでは酷くなかったが)。

この時代はこんな感じでOSを使い分けていた。NT4.0はこういった作業用途に使っており、起動時間もNT4.0の方が断然長かった。もはやWindows98はゲーム以外には全く使わなくなっていて、ゲームも年数が経つに従ってやらなくなってきていたからである。

というわけで、次回はゲーム編として、Windows98での当時を振り返ってみようと思う。