サブカル回顧録

ゲームやコンピュータ等、一昔前の語り草

ゲーム機列伝⑩ ドリームキャスト、タイミングが悪かったゲーム機…

今回はドリームキャストを話してみようと思います。ドリームキャストは実質4年強しかまともにソフトも販売していなくて、はっきり言えば大失敗になるんだけど、当時の状況を踏まえてこの辺を話していこうと思う。

setoalpha.hatenablog.com

ドリームキャストといえばまっさきに思い出すのがこのCM


湯川専務CM集

特に最初の「セガなんてだっせーよな」と二個目の「帰ってプレステやろーぜ」は当時衝撃的で、まあ強烈に脳にインプットされたものです。

ドリームキャストは当時最新の3Dゲーム基板でもある、セガのNAOMIをベースに開発されたゲーム機で、NAOMI互換ゲーム機と言ってもいいでしょう。すでに当時PS互換ゲーム機も出ていたこともあって、アーケードゲームと家庭用ゲーム機の性能をほぼ同一化することで移植のスピードや移植レベルを高めるといったのもあったと思います。

当初発売後はとにかくすごくどこのお店も売り切れ状態。年末商戦に発売したのに肝心の本体が年末商戦までに全部売り切れてしまって、売り機会を完全に逃してしまったのが大きい。これは当時使っていたPowerVR2チップの確保がなかなかできず、そんな状態で見切り発売をしてしまったからだと言われている。正直この見切り発売だが、当時発売を遅らせてまで台数を確保してから売ったほうがよかったのか、それとも実際行った年末に合わせて無理やり発売したほうが良かったのかは結果論なのでなんとも言えないが、ここは一旦送らせてでも数を揃えたほうが良かったのではないかとは思う。ただ、ライバルのPS2がすでに発売がほぼ決定していたこともあり、セガとしてはなんとしても98年末に出したかったのだろう。99年までずれ込めばそれだけ相手との差が作れなく、メガドライブの時のスーファミの時の二の舞になりかねなかっただろうから。

個人的な意見を言えば、この発売の勇み足は失敗だったと思う。当時はテレビもコンポーネント端子を使ったアナログハイビジョンテレビや、その後急激にD1・D2端子が普及してきており、ドリームキャストは当時640x480のVGA解像度をサポートしていて、このVGA解像度を使うためにでみろや21PinRGBケーブルがあればパソコンのモニターで高解像度でクリアーなゲームが楽しめた。ただ、当時の家庭用テレビはRGB端子等がついているものは皆無で、ようやく出てきたコンポーネント端子(D端子)がその代用としてその後活躍することになった。ドリームキャストのもったいないところは発売の時点でコンポーネントに対応してなかったこと。いくら綺麗なグラフィックを誇っても、その最大限の能力を出すにはパソコン用モニターに使うしかなく、そうなると当時のモニターサイズは17インチが標準だったこともあり、非常に小さな画面でしかゲームができなかった。事実、その後発売されたPS2D端子を含めたコンポーネント端子にも対応をし、こちらは非公式とはいえD2画像相当のゲームもあり、またSD画質とはいえ、D端子での画質はS端子やビデオ端子に比べると明らかにクオリティは上がり、綺麗な画像でゲームが楽しめることになる。ドリームキャストはせっかく内部的にはVGA解像度という高解像度でのゲームが楽しめるのに、この端子の選択の少なさでS端子レベルでしか家庭用テレビでは遊べないという欠点があった。ここを無理してでもコンポーネントに対応させておけば、少なくともグラフィックに関してはPS2と同等かそれ以上に売り込めただけにここはもったいなかったなと。現実、社外品であるが先々はAVマルチ変換ドリームキャストケーブルも発売してただけにここはケチる必要なかったよねと思う。

同時にゲームソフトがなかなか揃わなかったこともある。ドリームキャストと聞いてなんのソフトがあったと言われてもなかなかピン来ない。PS系とかぶらないで出たソフトといえば、バーチャファイター3tb、セガラリー2、KOF'98リメイク、ソウルキャリバー。多分メジャーなところはこんな感じであとは、シーマンシェンムーがあるぐらいかな。NAOMI互換のおかげでNAOMIでのゲームが多く、特にカプコンのゲームはよく移植されていた。ただ、これもPS2が出るまででPS2が出てからのドリームキャストはそれはそれは悲惨な状況。なにせほとんどのゲームがPS2でも発売されることになる上に、PS2はPS互換と当時としては格安のDVDプレイヤーとしてちょうどMATRIXが話題になってたこともあって、とにかく売れに売れた。ドリームキャストはすでにPS2が出る半年前ぐらいから敗戦状況が見えてきていたのは明らかだった。

さらに悪いことは続く。PS2が発売されてどんどん差をつけられていっていたさなか、今度はドリームキャストはクラックされるという悲惨な状況に。これに関しては過去少し話していたんだけど、まあ簡単に言えば無改造でコピーが動くというもの。当時始まったばかりのクラウドドライブサービスでもあるi-Drive(通称愛銅鑼)を利用して海外で流出していたドリームキャスト用のブートファイル及びゲームデータファイルを入手してCD-Rに焼いてそのまま遊ぶというもの。手順としては

BootDiscを起動する

蓋を開いてゲームディスクに交換する

起動する

言葉で書いてもなんのことやらって感じなので動画はこちら


Sega Dreamcast Utopia Boot CD & Marvel vs. Capcom 2

最終的にはこのBoot Disc機能とゲームディスク機能を一つにした完全版の作成方法がわかり、結局コピーしたゲームがなにもせずに起動するというそれはそれは末恐ろしい状況になってしまった。この頃になるとドリームキャストの値段はすでに1万円を切ってきており、もはや投げ売り状態。その上ゲームは愛銅鑼を利用すれば簡単に手に入るというフリーゲーム状態。そのあまりの悲惨な状況の中、セガは2001年に入ると早々にドリームキャストを撤退してしまう。もちろんソフトはその後も発売はされたが、実質この時点で終わったと言ってもいいだろう。なんともあっけない幕切れであまりの早さに唖然とした。と同時にそりゃそうだろとも思った。コピーは確かに一部の好事家ぐらいしか知らなかっただろうし、なにより自動ブートディスクの作成は結構な知識がいるので早々できる人間はいなかった。ただPS2の勢いがすごすぎてどうしようもなかったのもまた事実。結局はここがすべてでもあった。

個人的にはドリームキャストは勇み足的な感じで出してしまったゲーム機だったなと思う。発売を焦りすぎて台数が足らずに販売。台数が足りてスムーズに在庫が入る頃になるとPS2の発売日が決定していてユーザーはそっちを待つ。時期的にも妙な時期に出したせいで、上記に述べていたように高画質でのゲームが売りだったのに、その高画質を活かせる環境にある人は少ない。コンポーネント対応があればまだ違っていたとは思うが、それを待つとPS2の発売がって感じだったんだろうけど、結局台数が準備できなかったんだから意味がなかったねと。あげくにMIL-CD対応とブロードバンドアダプターの存在でゲームデータを吸い出されてコピーされ放題というオチまでついてくる…。同時期にだした互換基板でもあるNAOMIがベストセラーともいうべき売上及び稼働年数を誇っていたことも考えると余計に…。

すべてタイミングが悪かった、としか思えないですね。ここまでタイミングが悪く出すのも非常に珍しく、それだけセガが焦っていたというのもあったででしょう。多分一万円を切った時に買った人は多いと思います。なにせ中古だったら7,000円ぐらいで買えててまああのレベルの高スペックゲーム機が7,000円とか当時としてはありえないですからね。

良くも悪くもセガのゲーム機だったというべきでしょうか。その後セガアーケードゲームはそのまま残り、家庭用ゲーム機に関してはソフトウェアメーカーとして脱皮し今に至ります。そしてそのセガの立ち位置にはMSのXBOXがつくのですが、それはその後のお話。