サブカル回顧録

ゲームやコンピュータ等、一昔前の語り草

ゲーム機列伝② ファミコンの登場

カセットビジョンやらその他ゲームがぼちぼち出始めた頃についにファミコンが発売する。その衝撃たるや凄まじいものであった。

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1983年にファミコンが発売されるわけだが出る前と出た後で家庭用ゲーム機の市場は一気に変わったと言っていいだろう。なにせ当時ゲームセンター(AC)で普通に100円払わなければ出来ないぐらいのクオリティのゲームがファミコンでは本体14,800円+ソフト代(初期は3900円~4900円程度)払えば家でも好きなだけ出来るようになるわけである。

まだ他のゲーム機ではそこまでの表現力はなく、ACとの差が一気に縮まったと言ってもいいだろう。同時発売のドンキーコングドンキーコングJR・ポパイと一見すればほぼACと同じレベルのゲームが家で出来るわけである(厳密には表現力は若干の差があったが一気に縮まったのは確か)。その一年後にはハドソンナムコが早速参入し(ここで初めてロイヤリティ等を含めたサードパーティシステムが出来上がったと言える)ハドソンロードランナー等のPCゲームから、ナムコギャラクシアンゼビウス等のACゲームから移植を行い、ここで一気にブレイクすることになる。そしてスーパーマリオの登場で完全にその他メーカーを置き去りにし一強状態になっていく。その後のフィーバーぶりは当時を経験した人であれば誰もが知っているだろう。

ファミコンがなぜここまでブレイクしたのかについては色々と諸説があるだろうが、一番の理由は当時としては最高の技術を惜しみなく投入した表現力、あと任天堂だけではなく他の会社にも参入を認めたサードパーティシステム、十字キーと言う使いやすいコントローラ、限りなく値段を下げた販売価格など多数あったと思う。この世代のゲーム機の代表的なものには「ぴゅう太」「SC-1000&3000」「スーパーカセットビジョン」「Atari7800」「アルカディア」等色々あったが、結局ファミコンの販売価格以下のゲーム機はSC-1000ぐらいで残りは割高。その上表現能力はファミコン以下と言う状態で、どう考えてもファミコン以外を買う理由がなかった。また、ナムコハドソンの参入は非常に大きく、ハドソンからは当時PCで大流行していたロードランナーチャンピオンロードランナー、ナムコからはACでこれまら大流行していたゼビウスを筆頭に多数の移植を惜しみなく投入。この時点でファミコンの勝利は確約されていたと言ってもいいだろう。

個人的な意見を言うとファミコンの最大のピークは1985~87年ぐらいだと思う。ディスクシステムが発売されゼルダの伝説が生まれ、またハドソンコロコロコミックのタイアップで生まれたゲームキャラバン。色々と別の意味で伝説&ネタを生み出したファミコンロッキーの連載。今でも続くシリーズ物の始祖DQFFが生まれたのもこの時代である。今も続く流れがこの2~3年ぐらいで一気に出来上がったとも言えるこの時期こをがファミコンの一番盛り上がっていた時代だと思う。この時代に小学生だった人たちは本当に幸せだっただろう。なにせあのバブルが始まった家庭用ゲーム機の世界を実体感で味わえたわけだから。

ファミコンは最終的にはスーパーファミコンが出るまでの7年間しっかりと守り続け、またスーパーファミコンが出た後も引き続き販売され10年後にはNewファミコン(AV仕様モデル)も発売され、実に12年近く愛されていたゲーム機でもあった。AV仕様ファミコンはすでに発売されていたスーパーファミコンの端子を利用することでビデオ入力接続できるファミコンでいわゆるRFスイッチよりは画質も上がり、余計な手間もかからないため非常に使い勝手も良かった。また実はコントローラが地味に使い勝手が良くなっており、十字キーやボタン、形等がスーパーファミコン準拠で作られているため操作感がかなり向上していたりする。ちなみにこのNewファミコン、当時普通に購入したが(ファミコンはすでに処分していたため)今でも家のどっかにあると思う。箱等はすべて処分したけど…。

今やファミコンはすでに古典扱いされて、小学校の社会科の教科書にも出るぐらいの歴史的案件になっているわけだけど、当時娯楽がまだまだ少なかった時代に発売されたときは本当にセンセーショナルな出来事だった。今でもうっすらと記憶に残っているぐらい。ただ当時のゲームは当たりハズレが本当に激しく、初期に出ていたソフトならまだしも中期以降に出たソフトなんて罰ゲームクラスのひどいものも多く、そういう意味では子供だましのひどいゲームも多かったなぁって思いますね。ビック東海とか含めて時々何考えてこんなの作ったんだよ!ってゲームが多かったのもまた事実である。