サブカル回顧録

ゲームやコンピュータ等、一昔前の語り草

アーケードゲーム衰退の歴史はどこからなのか?

アーケードゲームといえば昭和時代から平成にかけてはゲーム業界では花形と言ってもいいだろう。それぐらいの強烈なインパクトを植え付けてきた。そんなアーケードゲームも今や風前の灯。特に主戦力でもあったビデオゲームはもはや壊滅と言ってもいいだろう。

一体いつ頃からアーケードゲームは衰退し始めたのか?80年代後半ぐらいからゲーセンに通っていた実体験から振り返ってみようと思う。

80年代後半アーケードゲームはシューティングやアクションが主流でもあった。お店のデパート等の一角にゲームコーナーがあり、普通にビデオゲームを多数置いていたわけだ。当時の記憶から引っ張り出してきてるので、記憶以外にもちと調べてみるとこんな感じ。

グラディウスII GOFERの野望、テトリスR-TYPEスペースハリアーアフターバーナー等など

ごく一部だけど、この時代は80年代半ばぐらいのゲームがかなり多く、他にもゼビウススターフォース等がデパートのゲームコーナーにはあったりした。アクションやシューティングがメインで大型筐体ではナムコセガが頑張ってる感じ。ゲームがどんどん進化していっていて一年で変わっていく時代でもあり、ファミコンなんてかわいいもので、PCエンジンメガドライブすらかなわないアーケードゲームは憧れでもあり、別世界でもあった。(パソコンはまた少し違う独自のゲーム文化なのでここでは割愛)

とにかく80年代後半のアーケードゲームはアクション・シューティングを中心としたラインナップで専用設計基盤を使い惜しみなく予算をかけて作られた専用機でもあった。毎年出てくる新作ゲームの数に心震わせ、また同時にこづかいも減っていく世界でもあったのである。ただその前を知ってる人に言わせればインベーダーブームの頃よりは勢いは落ちていてなかなか厳しくなっていたとのこと。言われてみればこの時代はお客はいるにはいるが、ごった返す感じでもなく、普通にいるという感じ。それでも今の悲惨な状況に比べればその数倍はいたと言ってもいいだろう。

そんななか、90年代前半にあの伝説のゲームが誕生する。

ストリートファイターII

このゲームはゲームセンターの営業をガラリと変えたと言っていいだろう。ただ、このストリートファイターIIの誕生よりまえにでたファイナルファイトベルトスクロールアクションブームが広がってきており、そういったことも踏まえてその流れで誕生したと言ってもいいだろう。ストIIは初期はCPU戦で、中期からは対戦台として今後のアーケードゲームの流れを変えてしまう。この対戦台でゲーセンバブルが始まり、一日のインカムが土日であれば1000は超えてしまう日が多発し下手すれば2000。シューティングバブルがはじけ、アクションも難易度向上になり、ベルトスクロールアクションで少しマニア向けになっていっていたゲーセンがこのストIIの登場で変わってしまったと言ってもいいだろう。その後ストIIダッシュ→ターボとマイナーチェンジされ、後の格闘ゲームブームを作り出すわけだが、この時代はゲーセンがどんどん出来ていき、どこもかしこも対戦格闘台が作られていったわけだ。同時にSNKから餓狼伝説スペシャルなどの対抗馬も出てきてさらに加速度的にバブル状態になる。個人的にはこのストIIからストIIダッシュ&ターボ、餓狼伝説スペシャル時代がピークだと思う。平日でも普通にお客さんがごった返していたし、なにより熱気があった。異常な数だったのでピークと言うよりはもはや異常と言っていいだろう。これがちょうど91年後半~93年一杯ぐらい。

さらにその後90年代半ばに入り、お客は減ることはあれどその減り具合はまだまだ微弱で微々たるもの。格闘ゲームブームでまだまだお客はいた時代でもある。この時代は格闘ゲーム以外にもパズルゲームが流行った時代であったが、家庭用ゲーム機がPSやSSになっていったことで、アーケードゲームとの差別化がかなり狭まって来ていた。例えばPS版リッジレーサーは最初の起動後はノーアクセスで起動。出来はアーケードと比べても遜色なかった。はっきり言えば専用大型筐体でやること以外は素人目には正直体感的な差はなかったとも言えるだろう。またSS版のKOF95はほぼ完全移植と言っても良い出来で、アーケードの存在意義に疑問符が生じた瞬間でもあった。アーケードゲームへの憧れが現実になってしまったのだ。これ以降家庭用ゲームへの移植が極端な性能差のあるゲームを除いてほぼ問題ないクオリティで再現されてきており、最大の弱点はCDのアクセススピードだけになってきていた。事実、この時代に移植されていたアーケードゲームの多数はほぼ完全移植に近く、アーケードゲーム業界にとっては厳しい時代になっていっていたのは間違いないだろう。少し古いゲーム(90年以前のゲーム)であれば100%完全移植レベルでもあった(グラディウスDXパック等)。正直な話この時代のアーケードゲームは見知らぬ相手と格闘ゲームで対戦をする場であり、また移植されていない少し古いゲームを懐かしんでやる場でもあり、同時に家庭用では出来ないゲーム(18禁タイプや特殊なもの)をやる場所へと変わっていったのもこの時代だと思う。今にして思えばこの90年代半ばは少しずつだけど今へと続く衰退の流れが出てきた兆しが見えてきたタイミングではないかとなんとなく感じる。

そして格闘ゲームの衰退を感じ始めてきた90年代後半になってくると、ドリームキャストの発売もあり、もはやアーケードゲームと家庭用ゲームの差はほとんどなくなってしまった。またアーケードゲームでは格闘ゲームの衰退と同時にbeatmaniaDanceDanceRevolutionを代表とする音楽ゲームが発売され一躍大ブームとなる。衰退していく格闘ゲームとは別の客層を呼び込み、客の減少に歯止めをかけると思われるが、今後はビデオゲームがまったくもって元気がなくなる。この音楽ゲームの出現はゲーセンにとっては今にして思えば劇薬に近かったのではないかとも感じる。徐々にではあるが、音楽ゲームしかやらない客層が増加していき、ビデオゲームは置いていても稼働してくれない状況になっていったのもこの時代であろう。ゲーセンでお客がいるのはコナミ音楽ゲームだけになり、その他ビデオゲームはどんどん衰退。

2000年前半になってくるとストII時代に営業していたゲーセンがどんどん閉店。格闘ゲームバブルは完全に弾けてしまい、少しずつではあるが今の悲惨な状況へのカウントダウンが始まり始めたと感じる。

その後2000年半ばをすぎると頑張って営業していた郊外型のゲーセンが少しずつ閉店し始める。ゲーセンに行ってもビデオゲームはどんどん数を減らし、代わりに音楽ゲームや大型筐体が幅を効かせてくる。大型筐体では頭文字Dシリーズが順調に進化していき人気を博してきたのもこの時期である。。というのも、この頃になると家庭用ゲーム機がPS2になっており、もうアーケードゲームと家庭用ゲームの差が完全になくなっていた。PS2互換基盤で作られたアーケードゲーム基盤も誕生しており、ギタドラZガンダムエゥーゴvsティターンズなどはPS2互換機版で作られていて、移植前提で稼働しており、アーケードゲームの一番の強みであった家庭用とのクオリティの違いも取られてしまった挙げ句、移植までの期間までもが短縮。エゥーゴvsティターンズに至ってはアーケード発売から3ヶ月で家庭用に移植といったことになってしまい、高いアーケード基盤を買ったオペレーターからすればまさに寝耳に水。基盤は初期ロット、2次ロットとあるため、下手すると稼働開始から2ヶ月もしないうちに家庭用が発売した店舗もあるだろう。こうなってくるともはや本末転倒。ゲーセンは格闘ゲーム時代以上に厳しくなっていくのは明らかだっただろう。

さらに追い打ちをかけるように2000年後半になるとPS3の発売やパソコンのスペックアップもあり、家庭用ゲームでは独自のネットワーク対応型のゲームが発売されていき、同時にアーケードゲームでの他人との対戦プレイ等まで取られてしまう。アーケードゲームもネットワーク対応ゲームを2000年前半から一部対応していたものの、結局アーケードということでジャンルが固定されがちで、そういう意味では自由にジャンル指定できる家庭用ゲームやパソコンに叶うわけなく、この2000年後半で一気に弱まって行ったんだと思う。この時期から加速度的にお客は減っていく感じになる。それは同時にゲームそのものがクローズドな世界からオープンな世界に転換する転換期でもあったわけだ。

その後はもう衰退するばかり。一年単位で言えば少しずつではあるがそこにあるのは確実に減っていく売上。それに対して固定経費は増加傾向。消費税の上昇もあるが、ゲーム筐体自体がリース形態に変わったり、電子マネーの導入による対価の支払い。同時にネットワーク維持費用の上昇。電子マネーを使う以上ネットワーク接続は必須になるわけで大半のゲームがそうなってる以上そこにかかる初期投資費用&固定費用は馬鹿にならない…。さらに電気代等の光熱費の高騰。にもかかわらず売上は毎年減少。こんな状態で営業なんてできるわけ無いですよね。特に2015年を過ぎてからは本当にひどく、改めて見ると自分の知ってるゲーセンでもなんでここがなくなるの?ってところが閉店してる。東京に住んでたときに行っていた小岩の東京レジャーランドもだけど電通大調布駅近辺にあったゲーセンも壊滅状態。広島駅の近くにあった山陽本線の下にあったでっかいゲーセンも消えてたし途中の路地にあったゲーセンももちろんなかった。さらに商店街にあったゲーセンも消えてた。大阪の豊中にあったタイトーインも最初は信じられなかった。梅田の一番街にあったゲーセンもかなり消えてる。北九州も最後の聖地と言われたカジノ京町がついこの間閉店。独自性を出してやってるゲーセンか総合レジャーランドのみが生き残ってる状態でいわゆる昭和のあの胡散臭いゲーセンという物体はもはや天然記念物レベルになってきてる。

という感じで語ってきたんだけど、衰退の転換点はこうまとめてみると2000年前後になると思う。それ以前から少しずつやばいのは見えてきてたんだけどそれを音楽ゲームでうまくごまかしていった。ただ最初に現実的に見えたのはSNKの倒産。これで格ゲーバブルが完全に弾けたことを否応にも知っちゃった。多分このタイミングでやばいな~って思った経営者はかなりいたんじゃないかと思う。

あと音楽ゲームのプレイヤーは待ち時間も他のゲームをやらないプレイヤーが多かったこと。昔のビデオゲーム主流時代は待ち時間には他のゲームをやったりしてたんだけど、音楽ゲームのプレイヤーはそれ一点のみをするプレイヤーが多く、そういった隙間の時間の稼働が稼げなくなったこと。

さらに追い打ちをかけるように2002年からのFFXIのサービススタート。ここから家庭用ゲームが本格的にネットワークゲームに手を出していくわけだけど、すでにパソコンではラグナロクオンラインリネージュ等が流行っていたが、まだマニア向けのパソコンでの世界だった。でもFFXIでそれが一般のゲーム層にも知れてしまった。

ただ、個人の意見を言えばゲーセンでの出会いやスーパープレイってのは10代の時からあり、とくにスーパープレイを見るのは見ていて本当にすごかった。90年代前半にファイナルファイトマジックソード大魔界村をサラリとクリアーしていく大学生っぽいゲーマーや、スターフォースを300満点以上だしてプレイするサラリーマン。グラディウスIIIをクリアーできる猛者。確かに今はYoutubeで見れなくはないが、あれを直に見たときの興奮はそりゃあ語ることなんて出来ませんよ。その後2000年代に天地を喰らうIIを最終面までワンプレイで遊んでたりしてたときに後ろから見ていた学生はきっとその時の自分と同じ思いだったんだろうと思う。ああいった玄人的なゲーマーとも会えるゲーセンがどんどんなくなるってのは寂しいものですね。そういえば去年カジノ京町でストIの昇龍拳を自在に出すおっさんゲーマー見たときは度肝抜かれたもんな。

最後にインベーダーからはじめり、順調に大きくなっていったアーケードゲーム業界。格ゲーバブルでこの世の春を味わい、そして格ゲーバブル崩壊とともに衰退していく。その後は落ちていく一方。簡単に言えばそんなとこでしょうか?多分今後ゲーセンはもう浮き上がることはないと思います。残念ながら自分が行くゲームセンターはもうなくなってしまいましたが、行ける身近な距離にまだそういったゲームセンターというべきゲーセンがある幸運な人はまだ営業してる今のうちに本当に楽しんでください!