サブカル回顧録

ゲームやコンピュータ等、一昔前の語り草

Windows95初期になぜWindowsパソコンを買ったのか?

Windows95が発売されてから1年前後に渡ってパソコンは急激に売れ始めるわけであるが、当時のビジネスソフトはまだしも、ゲームソフトに関してはほぼ皆無と言っても良かった。正直パソコンを使う上でこの時代のポイントはやはりゲームと言っても過言ではなく、そんな中Windows95専用のゲームなんてほぼ無かった。ゲームだけならPC-98シリーズが円熟期を過ぎて衰退期に入っていたとはいえ、どう考えてもPC-98DOSゲームのほうが充実していたのだ。そんな中96年半ばになると周りはWindows95へと移行していく。

前述したとおり、Windows95というよりもWindowsのゲームに関しては気持ち程度に3.1用ゲームが出ていたぐらいで、ごく一部のエロゲーを除くとほぼゲームは無かったに等しい。正直Windows用ゲームが本格的に出始めてきたのはWindows98にバージョンアップした頃からWindows2000にかけての時代に増えてきていて、わざわざWindows95に移行する必要性が無かったのは否めない。

そんな中96年を過ぎた頃から少しずつ状況が変わってくる。もちろんゲームに関してではなくネットワークに関してだ。ちょうどこの時期にテレホーダイがNTTから発表される。もともとWindowsはインターネットに特化したOSということを謳っており、発売後からそのあたりは紹介されていたのだが、いかんせん当時の日本では電話回線の代金が非常に高くなかなか普及されなかった。ただ、テレホーダイの登場で深夜帯時間に関しては定額制となり、このあたりの敷居が少し低くなる。

また96年からはISDNにも対応したテレホーダイが対応し、このあたりからWindowsパソコンのメリットが生きてきたと言ってもいいだろう。

当時のインターネットの普及率は日本全国見ても1~3%ぐらいで、まだ始まったばかりの世界。今みたいに日本国民ほぼ全部みたいなものではなく、まだまだ創世記。正直無法地帯な状態で本当に好き放題やっている無茶苦茶な世界でもあった。そういったわけのわかんないところへ飛び込みたいとかそういう理由で突っ込んでいく感じで、この時代からインターネットをやっていた人は本気でかなりの変人だったと思う。

とまあ、表向きにはこういう感じでWindowsパソコンは広がっていくわけだが、自分の周りを含めた方々は違う。そもそもWindows以前にパソコン=ゲーム機という感覚が強いこの世代?はパソコンはゲームができてこそなんぼという発想で購入をする。だから子供の頃はMSX系やPC-88シリーズ、余裕ができたらPC-98シリーズやX68000を買っていたわけだ。当然Windowsパソコンでもゲームをやることをまず第一として考えるのは自然である。もちろんこんなの頭の悪い発想なんだが、そんなこと考えるわけがない。とにかくゲームをやらなければパソコンを買った意味がない!というぐらい狂った発想だったのである(自分の周りはそうであったが、実際のところこんなものだと思う)

そんな中インターネットを皮切りに色々と当時はまだ狭かったネットの大海原を大航海時代のごとく進んでいくのであるが、いくら狭かったとはいえそれでも十二分の広さはある。当然人口がまだ1%時代では日本語サイトなんてまだまだ少なく、航海していくと当然のように海外サイトへと流れ着いていく。止せばいいのに海外サイトから海外サイトへとどんどん深みにハマっていくのだが、そんな中ふと触れてしまう瞬間が発生する。

「なにやらパソコンでファミコンができるみたいだぞ」

そういえば昔まだWindows時代のまえの草の根ネットでPC-98X68000用の妙なゲームを入手したことがあったが、その流れなのか?という感じがしたのだが、さらにしらべていくと少々事情が違う。どうやらこいつはそれとは違うらしい。

「本体がアプリとして起動するっぽい」

ただ、いかんせん当時はまったく情報が無かった。無かったを通り越していた。あるのは海外の英語サイトでのよくわからない紹介のみ。なにがきつかったって、日本語マニュアルも無ければなにもなく、全部一人でしらべてやるしかないという超ハードモード。当時そりゃあもう試しまくりましたよ。結果ファミコンスーファミに関してはほぼしらべまくって自力で動かせるところまで持っていきました。色々と当時の知り合いともやりくりをして調べたんだけど、とにかくパソコンをゲーム機にしたいだけで気合い入れてやりましたね。

ちょうどこれが96年ぐらいから静かに増えてきたという感じ。NesticleがNesticle95になってWindows対応。同様にSnes9XがWindows対応になり、半透明処理はまだないもののほぼ動作可能レベルまで来たこと。これでファミコンスーファミに関しては目処がたったわけである。当時のスペック的にはPentium133Mhzもあれば十分動くこともあって、非常に都合も良かったわけだ。またMameWindows対応されたのもこの時期。80年代半ばまでのゲームであればこちらも余裕で稼働。さらにCallusのWindows対応化によりCPS1のゲームもほぼ全対応化される。

多分このあたりが移行への決め手だろう。96年も半ばをすぎると特殊ROMの起動に対応したBioNes、また半透明処理にいち早く対応したZsnes、さらにはNeorageの誕生とWindowsパソコンのゲーム機化は加速度的に進んでいくことになる。ゲーム機化というよりも仮想本体化と言ったほうが正しいのかもしれない。

かなりイレギュラーなんだけど、多分こういった理由でWindowsパソコンを買った人というのは多いと思う。Windowsパソコンでゲームが全部できる夢のパソコンへとなったわけだ。この時期はちょうどエミュレータ関連の雑誌も多数発刊しており、こういった雑誌をみて購入に踏み切った人も多いと思う。パソコンがゲーム機だというのは今も昔も変わらないのだろう。

ちなみに当時「すべてのゲームはここに集まる!」とPSがCMをしていたが、自分たちの周りでは「全てのゲームはWindowsに集まる!」と言っていた。事実、今やWindowsベースのゲームがアーケードで稼働していることも考えるとある意味それも皮肉な結果であろう。本当にWindowsに集まるどころかWindowsベースになってしまったんだから…