サブカル回顧録

ゲームやコンピュータ等、一昔前の語り草

ゲーム機列伝⑪ PS2、最強だったがゲーム業界は衰退&補足的なもの

2000年に大本命ゲーム機PS2が発売される。今回はPS2の時代の流れをアッサリ気味に話していこうと思う。とは言うのも、この頃になるとゲームをあまりやらなくなっていたため、ごく一部のゲームしか手を出していなかったのでよくわからなかったというのもあるのだが。

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さて、PS2は売れることが約束されたゲーム機でもあった。当時普及し始めたDVDプレイヤーはまだ6~10万程度はする時代で、そんな中DVDプレイヤー機能があるにも関わらず、ゲーム機として39,800円で売り出すというのはまさに暴挙。さらにタイミングが良いことに世の中は映画のMATRIXブームが最高潮でうまい具合にDVDで発売されるということもあって、とにかく発売前の予約の段階で当時インターネット販売予約を開始したソニーPS2販売サイトはダウン。発売から3日で100万台近く売り飛ばし、もはやドリームキャストの存在はなかったことにするレベルの売上。わずか2年弱で累計出荷台数が2000万台突破という、とにかく売れまくったゲーム機でもある。

もちろん、ゲーム機としての性能も当時としてはダントツの性能であり、正直言ってアーケードゲーム基板を超えたレベルのものでもあった。PS2でついに家庭用ゲーム機はアーケードゲーム基板を追い抜いたといってもいいだろう。メモリーカードもPSのブロック方式から容量方式に切り替わり、また容量にも当時としてはかなりの余裕ができたことで、メモリーカード難民も少なく順調に推移していくことになる。

旧ゲーム機でもあるPSとの下位互換性も高く、一部ゲームは挙動がおかしくなるものの、ほぼ大半のゲームは問題なく動作をしそういった意味でもPSの延命措置及び初期におけるゲームソフトの数の少なさをカバーしていた。

映像方式も当時ようやく普及し始めたコンポーネント端子及びD端子にも正式対応する。D端子は非常に優秀でPS2のグラフィック性能を十分に発揮できた。その後ソニー本体ということで、ソニー製のトリニトロンカラーテレビにはPS2専用端子のAVマルチも搭載され、家庭用ゲーム機としては初めてRGB端子対応を売り出すことになる。このAVマルチはブラウン管のソニーテレビにはこのあと標準で対応していくことになる。(厳密にはHDとSDテレビで同じAVマルチも画質に若干の差があるのだが、ここでは割愛する)

また本体は初の縦置き対応。さらに型式をマイナーチェンジで変更していくにつれて限定カラーの本体を発売する路線を確立。今に続く限定カラー本体販売の基本を作ったモデルでもあるだろう。その後マイナーチェンジを行い、最終的にはスリム本体に切り替わってなんと12年間売られることになる。干支が実に一周するまで売られたわけだ。ここまで長きに渡って売られた本体も珍しく、名機と言ってもいいゲーム機だと思う。

PS2の時代はとにかくゲーム業界がまだ景気の良かった時代にスタートしたこともあり、ファミコンスーファミ時代からの名作等はすべて続編が出たと言ってもいいだろう。ドラクエ&FFシリーズ、また無双シリーズもここから本格的に人気が出てきてるし、鉄拳や実況パワフルプロ野球ガンダムVSシリーズ、beatmaniaIIDXを筆頭に音楽ゲームセガからはバーチャファイター4、カプコンからもカプエスシリーズ等など、多分当時アーケードで出ていたゲームはほぼ全部出ていたような気がする。唯一、任天堂のゲームはゲームキューブで販売されていたが、それ以外のゲームは全部PS2で出てたんじゃないかな。

このPS2時代でPS時代からのキャッチフレーズでもあった「全てのゲームはここに集まる」が実証されたのではないかと思う。ただ、同時にゲーム業界が下降気味になっていったのもこの時期ではないかとも感じる。FFシリーズはシリーズを追うごとにどんどん売上を落としてしまう。またゲーム自体の総売上本数も後期になるとかなり落ち込みが激しく、開発費にたいしての販売数のバランスも悪くなっていく。PS2はたしかに最強のゲーム機ではあったが同時にゲーム業界は悪くなっていく。敵がいなかったっていうのも理由にあるだろう。MSのXBOXは発売当初にプレイ中にディスクが傷つくなどの不具合をうまく対応できずに自爆。任天堂ゲームキューブは性能はPS2と同等かそれ以上であったが、いかんせんそれなら最初から発売されていたPS2の方が本体も安く、ソフトも多いので選択肢にすらならなかった。ちなみに自分はPS2はもちろんだが、ゲームキューブも中期以降に購入して遊んでいた。ただゲームキューブはあの独特なコントローラもあって普通の移植系のゲームは結構やりにくくて、任天堂のゲームを中心に遊んでいた。ゲームキューブは正直任天堂のゲームをやるためのゲーム機であってそれ以外はPS2の方がいいよねという感じになっていたのは明らかだろう。実際ゲームキューブ版のマリオカードは個人的には最高の出来だと思う。まあ、コンピュータの攻撃が超アグレッシブなこととコース自体がかなり狭いので特にレインボーロードは歴代最悪の難易度だったけど(それでもやり込んでガンガンプレイしていたが)。

そんな感じで相手の戦略の失敗もあり、PS2一強時代へと続く。ちょうどPS2からPS3までの変革期まではまだゲームを遊んでいたが、PS3の戦略の失敗もありPS2が延命されていくも、結果的にはPS2の時代は名作ゲームは多数出たが、今までのゲーム機と違って発売してから最初の限定カラーが出た時期までがピークだったと思う。特に02年半ばから03年初期にかけて発売された、30000型番でもあるオーシャンブルー、サクラ、アクアが出ていた頃がピークだったんじゃないかと(サクラはどこに行っても売切れていた)。異常なスタートダッシュだったが、その後も地道に売れ続けて最終的にスリム本体が発売されるまで至る。

が、PS2は長い間売られていたがその間のゲームソフトの売上はジリ貧になり、最強のゲーム機ではあったがゲームソフト自体は売れなくなっていく。最終的にはPS3が発売されるもその後6年に渡って売られ続けたことがゲーム業界自体の体力の低下を物語っていると思う。最終的には惜しまれつつ販売を終了することになるが、その際にゲームショップに売られていた新品のPS2本体が瞬殺でなくなったことは記憶に新しいだろう。初期PSと比べてレンズのヘタリもそこまでひどくなく(初期モデルは結構アレだが)、特にマイナーチェンジの30000型番以降はかなり安定性も上がっているので、今も動く本体は多いと思う。

さて、そんな中自分は当時PS2をほぼ発売日に購入。beatmaniaIIDX専用機として君臨し、その後本体を百式ゴールドパックモデルに買い換える。このモデルは色々とアレで、本体に百の文字があったり、専用縦置き台があったりメモリーカードは青色のZガンダムカラーだったりとなかなかの代物で、速攻売り切れると思って急いでかったら一年経っても売れ残っていたというなかなかの本体でもあった。ちなみに本体もまだ動くし箱も説明書もまだ持ってます。ただハッキリ言って不人気カラーでした(´・ω:;.:...

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さて、このPS2ですがこちらも実は裏話があります。以前ドリームキャストで話したようなものに近いんだけど、このPS2もエクスパンドベイ対応かつ50000型番以前のモデルであれば、内臓のHDDにゲームをインストールしてそのまま起動させるというこれまたドリームキャストの悪夢再びみたいな事ができました。ただドリームキャストと比べると少々厄介で、もちろんデータはWindowsパソコン経由で行うんだけど、HDDフォーマットが特殊だったりメモリーカードからツール(HD Loader)を強制起動させるのにキーディスクが必要だったり(これはPS1のゲームディスクが必須)と結構難ありで、そこまで環境を持っていくのもなかなかに一苦労なためそこまで普及はしていなかったと思います。当時はキーディスクに安い中古のPS1ソフトを言うことでリッジレーサーのR4やときめきメモリアルなどが安価なソフトとして代表格でした。なんでこの2つなのかというと、絶対容量の多いブートディスクを使わないと、うまくゲームが起動しないとかそういう理由だったと思います。まあ、今からやろうと思っても敷居が高すぎるし、ゲームソフトは中古では捨て値なのでやる価値は無いと思います。いかんせんHDDの容量が当時のLBAの制限で127GBの壁があったり、そもそもエクスパンドベイ自体がP-ATAなのでそんなHDDは今はなかなか入手できない。だいたい80GBクラスのHDD準備するとか今の時代どうしろ?とか言う状態なので。まあ、こっちに関しては敷居の高さから水面下ぐらいしか普及していなかったので、ドリームキャストみたいな大崩壊はしなかったですけどね。その後50000型番以降は一部で対応され、最終的にはエクスパンドベイが無いスリム筐体が出たことでHDD起動は不可能になってしまいましたから。

そんな感じで色々と楽しめたPS2時代でしたが、その後のゲーム業界はこのPS2時代を頂点にあとは衰退していきます。衰退というか、日本国内限定ではありますが。ただ、PS2が出たときのあのグラフィックの向上には本当に驚きました。ちょうどローンチタイトルで出たファンタビジョンをプレイしてそのクオリティにびっくり。あ~、ゲーセンのゲームは完全に追い抜かれたんだね、って実感したぐらいです。パンドラの箱を開けてしまったPS2はその後圧倒的王者として君臨しましたが、それが良かったのかは人それぞれでしょう。ただ、ゲームの進化としては正統派だったので方向性的には間違っていなかったと思いたいですね。

次回はPS2初期から全盛期の頃の中国市場の様子を話してみようと思います。これは相当にカオスだったのでなかなかに見ものですよw