サブカル回顧録

ゲームやコンピュータ等、一昔前の語り草

ゲーム機列伝⑫終 PSP、当時としては最強の携帯ゲーム機

PSPは2004年末に発売された携帯ゲーム機であるのは、もはや言うまでもないが当時としては破格の性能でお目見えしたと言っていいだろう。今回はPSPについて話してみようと思う。 

setoalpha.hatenablog.com

PSPが出る時期と同時に任天堂からDSが出てしまい、その値段があまりにも差がありすぎて、PSPは急遽価格を下げて売らざるを得なかったというのがあるが、これがそもそもの面倒な自体になったこともあると思う。

また、初期の1000シリーズはデザイン重視というよりも設計的な問題で□ボタンがいびつな構成をしており、ボタンが引っかかる等の物理的不具合もあった。

https://pc.watch.impress.co.jp/docs/2005/0915/yajiuma.htm

PCWatchの記事より

後期のモデルからは大分改良をしていたようであるが、基板設計の根本的なところが改善されるには次期モデルの2000番台(2007年9月発売)まで待つことになる。

このPSPだが当時からすれば今で言うスマホのプロトタイプ的なゲーム機でもあると言っていいだろう。最初のプレイステーションが出た当時ソニー久夛良木氏が「ゲーム機でなくエンターテイメント的なものをすべて出来るようにしたい」みたいな感じで話をしていたが、PSPはようやく出来ることを形に出来たゲーム機だと言える。PS2でDVD対応してようやく映画鑑賞的なものは可能になったが、PSPはさらに踏み込み、音楽プレイヤー・WebブラウザWiFi機能・動画プレイヤー・UMD動画(これは失敗したが)・メモリースティック対応等、今で言うスマホ祖先みたいなものであるのはわかるだろう。このPSPが現れた当時はMP3プレイヤーもまだまだ少なく、スマホは当然存在してなく、動画再生プレイヤーなんてパソコンでぐらいしかなかった。そんななかPSPは一足飛びに進化してきたわけである。当時の首都圏では通勤や通学中にゲームをやったり音楽を聞いたり等してお世話になった人は多いと思う。

また性能的にもPS2以下PS以上という感じで、携帯ゲーム機としては破格の高性能っぷりを発揮。ただ残念ながら売上的には同時期にでた任天堂DSに敗北してしまうわけだが、このPSPを欲する人も多かったと思う。

そんななか、2000番台が発売となりさらに売れることになる。正直当時DSが異常に売れてしまったのでどうしても失敗と言いがちであるが、それでも日本国内で2000万台は最終的に売れていて決して売れなかったわけではない。

ゲームは正直今ひとつであり、モンスターハンターシリーズだけが目立ちがちであるがPSからの続編も多く、また2000番台以降は本体も軽くなり□ボタンも設計修正されたりして使い勝手もかなり向上している。

・・・

さてPSP、非常に高性能でスマホの前衛的なこともあり売れたは売れたが中期以降は面倒くさいことが起こってくる。例のCFWが出てきたのである。初期の段階では1000番台のみ対応のその上公式FW1.50でないと動かなかった限定的なものであったが、中期には2000番台の中期ロットまで対応した最新のCFWが出現。最終的には全モデルで使えるCFWが誕生する。

この全モデル対応型は公式FWにCFWが乗っかかる感じのイメージで旧来にあった1からCFWを導入するのでなく公式のFWが導入された上でアップデートをする感覚で導入できるため、非常に簡単に誰でも出来るようになってしまった。それまでの一部モデル対応までのものは、特殊な改造バッテリーやCFW自体も数種類あり1からインストールする形式で非常に面倒でかつある程度なれていないと失敗する可能性もあり、失敗した場合は強制的に公式FWを使ってもとに戻すなど使ったりとある程度自己責任的なものもあったのだが、この全モデル対応型はそういったリスクが非常に低く一言で言えば誰でも出来るレベルの代物であった。仮に失敗しても公式FWで再起動がかかるため、何度も試すことが出来るというお手軽さでもあった。

CFWは強制的にUMDソフトをイメージ化しつつメモリースティックからの強制起動を可能にしたり、結構やりたい放題なことが出来たのだが(というよりも本来可能であった機能を公式FWは便宜上潰していたとも言える)そんな中当然のように出てきたのがエミュレータの対応である。

有名所のNesterやSnes9Xは当然のように対応してきたし、GBAももちろん出来るようになる。あげくにはネオジオカプコンCPS1等といったアーケードゲームまで出来るようになってしまう。そもそも対応させる方もどうかと思うが、こうなってくるとPSPは携帯ゲーム機であるが、PSP以外にもファミコンスーファミGBA等の任天堂旧ゲーム機はもちろんネオジオカプコンといった90年代のアーケードゲームまでもが移動中にどこでも遊べるようになってしまった。むしろこっちのほうが大事件でいろいろな意味で携帯ゲーム機としては当時最強であった。さらにエミュレータ特有のどこでもセーブ機能も搭載しており、もはや時間も全く気にならないようになる。

末期はこういった感じになってしまって、ニッチな方にはCFWが半ば常識になってしまい、また全く売れていなかったPSPGOに至ってはこのCFW全モデル開放によって、別の意味で価値が出てしまったという話もある。当時全く売れなくて売れ残っていた全国のPSPGOは一瞬のうちに在庫がすべて売れたという逸話もある。この当時は年末にこのCFWが出たわけだが、なんでも数少ない在庫は年があけることにはすべてなくなっていたとか…。PSPGOUMDが搭載されていないが、内蔵メモリが16GBと当時としては大容量だったせいか、これ一台で当時としては最強の携帯ゲーム機になってしまったのだ。

当時はCFW入れてリミッター解除みたいな話をしていたが、別の意味で考えればCFW状態が完全なPSPの100%機能を発揮した姿だったとも言えるでしょう。こういった遊び方をしてた方も多いと思います。皮肉だったのはCFWを入れることで完全開放されてしまったこと。早すぎたゲーム機だったと思います。携帯ゲーム機としては一足飛びで進化してしまったことも原因だったのかもしれません。

いまやスマホの普及でPSPはお役御免といったところでしょうが、今から触るのも面白いかもしれません。すでに解析されつくされているのでCFW等で楽しむのもいいでしょう。ただ一番の問題は良質な本体がほぼ無いこと。2014年6月に出荷完了しているため、もはや新品は皆無。あったとしてもかなりの高値になっています。ただPSPは当時販売終了宣言直後はまだ新品在庫は多く、少なくとも2014年末までは普通に新品在庫は存在していました。ただ今はすでに難しい状態ですので、購入する際はできるだけ現物を確認して良品を選んだほうがいいでしょう。

PSPは最後の携帯ゲーム機群雄割拠時代のゲーム機だと思います。これ以降Vita、3DSと発売はされますが、残念ながらこのDS・PSP時代と違って携帯ゲーム機市場は縮小気味になっていきます。スマホが普及していき、携帯ゲーム機ではなくスマホでゲームをする時代が到来し、結局廃れてしまったと言うべきでしょう。久夛良木氏の発言で

「最大のライバルは携帯電話」「最大の娯楽はコミュニケーション」「携帯電話の形態もかなり変わっている」

という発言がありますが(Wikipedia参照)この発言をしたのが1999年。いかに彼が先見の明があったかを物語る発言でしょう。後期はなかなかに楽しい発言も多かったですが、日本のゲーム産業は彼がいたからこそ今もトップを走り続けてるのではないかと思います。もし彼がいなければ間違いなくXBOXにヤラれていたでしょう。結局PS3の失敗から彼は引退しましたが、もし今もソニーに残っていたら多分違った現実があったと思います。そう考えるとPSPからの流れも含めて非常にもったいないと思いますね。

なんであれ、PSPは最初で最後のなんでもできた携帯ゲーム機だったと思います。触ったことがない人こそぜひ一度触ってもらいたいですね。それぐらい当時としては衝撃的でしたから。スマホがなかったあの時代を考えればPSP自体が普通じゃなかったと思いますよ。

 

2020/10/19 追伸

今回でこちらは連載終了とします。これ以降のPS3からはゲームをやる頻度がかなり低くなってしまい、当時の状況をそこまで見ていなかったことが一番です。周りもゲームで遊ぶ人が減ってきていて正直どういう状況だったのかよくわからないことが主な理由です。書きなぐりみたいな感じでしたが今まで書いてきたことでリアルタイムでの当時の状況が少しでもわかってくれてれば幸いです。