サブカル回顧録

ゲームやコンピュータ等、一昔前の語り草

PlayStation RHPプロテクト時代

その昔、PlayStation全盛期の頃。唐突にあらわれてその後消えていったプロテクト仕様にRHPプロテクトと言うものがあった。今回はそのRHPプロテクトについて当時の出来事を話してみようと思う。

このRHPプロテクトと言うのは当時ごく一部で広まっていたPlayStationのコピー対策プロテクトであった。正式名称はレッドハンドプロテクト、その頭文字をとって通称RHPと言われていた。このRHPプロテクトであるが普通にゲームを買って遊ぶには全く問題がなく、要はコピー起動出来るように改造したPlayStation、通称MODチップを内蔵したPlayStationで起こりうるコピープロテクトの一種である。

このMODチップは話せば長くなるが特殊なPlayStation用ソフト専用の信号をPlayStationのCDメディアの確かCDのデータの書き込みのされない最内周に埋め込むことで起動チェックをしていたという仕様を逆手に取り、このチップにより無理やり信号を出すことで本来はコピーの出来ない信号を擬似的に発生させ、コピーしたPlayStation用ソフトを強引に起動出来るようにしたチップでもあった。

参照:後期型MODチップをチップを取り付けたPlayStation本体

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そんな中ソニーがやってきたことがこのRHPプロテクト対策である。このRHPプロテクトの仕様は主にこの信号の盲点を突いてきたものでもある。本来PlayStationの起動チェックの信号はチェックの際に読み込むのだがMODチップの場合は強引に本体に読み込ませる関係上起動時は常時信号が発生することになる。ここを逆手に取り、起動チェックの際に常時信号が出ている場合はRHPプロテクトにより起動を遮断するというわけだ。このプロテクトが発動するとPlayStationのゲーム起動のロゴが出た後にプロテクト画面が出てゲームのプレイができなくなる。

参照:RHPプロテクトの出たときの画面

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実は改造していなくても出たりするとか言う話もあったが実際それは稀で本当に改造していた輩に対しての警告的なものもあったのだろう。特に中期以降のコナミカプコンのゲームはこのRHPプロテクトで対策されており、そのRHPプロテクトも少しずつ改善されていき特にコナミのソフトに関してはVer2、3などという感じでプロテクトなのにバージョンアップしていくというなかなかによくわからないことになっていた。

当時は通称初期の汎用RHPプロテクトや、DDR専用プロテクト等という感じで一部ソフトによってこのRHPプロテクトもバージョンがあった。もちろんこんなプロテクトがあっても我らが有志たちは果敢に挑戦していく。

まず最初に対策した手段が

プロアクションリプレイによる改造コード入力での回避

これは単純にプロアクションリプレイを使いプロテクトを回避するコードを入力するというやり方。非常にかんたんに出来る技で初期はこのやり方が主流であった。

そして少し立つと今度は別のやり方が出てくる。

・そもそもRHPプロテクトをなかったコトにする

これだけだとよくわからないかもしれないが、読み込んで吸い出したPlayStationソフトのisoデータにパッチを当てて最初からRHPプロテクトが存在していなかったことにしてしまうということ。専用のパッチソフトが有り、そのパッチソフトとパッチファイルを組み合わせて吸い出したisoファイルにパッチすることでRHPプロテクトを消してしまうという荒業。中期以降はこのやり方が主流にある。パッチは当て方が若干面倒だったがなれてしまえば簡単で結局RHPプロテクトもこういった最初からPlayStationソフトでコピーを取る人からすれば結局はこのザマというわけだったわけだ。ただ単純に改造からその他諸々を自分でやらなくて人任せや怪しげな業者に頼んでやっていたような輩は対策が出来るまでもなく痛い目にあっただろう。

その後PlayStationは終了し時代はPlayStation2になるわけだが、このRHPプロテクトも結局はいたちごっこ的なものになり最終的には無くなっていった。PlayStation自体の役割が終えPlayStation2へと引き継がれたことも大きかっただろう。ただPlayStation時代にはこういったことに対して結構ソニー側やソフトメーカー側も対策していたということも忘れてはならない。

だが正直PlayStationの頃はCD-Rドライブも普及し始めてはいたがそもそもわざわざ本体を改造してまでコピーゲームで遊んでいた人はまだ少なかったと思う。なんでそんな中そのほんの極小数の人にたいして対策をしたのかが不思議だ。もしかしたら今後PlayStation2や3が出たときのことを考えてテスト的にこういったことを運用していたのだろうか。もしそうだとしたら当時のSCEは相当危機感を感じていたのかもしれない。その後PlayStation2はまだそうでもなかったが、PlayStation3PSPになるとエライことになってしまったわけだし。