Windows95時代の自作PC事情:PC自作派 Vol.4より
今回はVol.4、1997年10月号より
いよいよ440LX登場でPentiumIIも本格的に動き出す。
特集:マザーボードの選択はチップセットで決まる
いよいよPentiumIIが本格的に動き出す。この時代のパソコンはとにも半年も経てばがらりと環境が変わっており、ものすごく進化のスピードが速かった。それに伴って明らかに体感差で速度変化もわかっていたため、一年も経てばほぼほぼ買い替えてるユーザーも多かったのである。
440LX登場
PentiumII専用のチップセットとも言える440LXがいよいよ登場するのであるが、この440LXは結局440BXへのつなぎのチップセットでもあった。ただ、SDRAMの対応やウルトラATAへの対応、またAGPバスの採用等当時の新基準をすべて搭載しており、つなぎとは言えPentiumII専用というだけあってさすがの新規格をねじ込んでくる。
その他今はもはや名前すら知られていないMATROX商品の特集、あとはPentiumII 300Khzの噂話等ちらほら。
特集:マザーボードの選択はチップセットで決まる
当時を知る人がいればかなり懐かしいメーカーや単語が出てきてると思う。なにせPentium系のチップセットに関してはこの時期のインテルは今と似たような感じで廉価版・普及・高価格帯とあるていどチップセットを準備していたこと。互換チップメーカーがまたなかなかのやんちゃであったこと。ここでは書かれてはいないが互換チップメーカーのチップセットは結構ダイナミックなものが多く、それに伴いまあ安定性という麺を見るとかなりのものであった。
ちなみに互換CPU(当時で言えばK6、サイリックス系)を使いたいのであれば一応インテル系のチップセットでも行けなくはなかったが、対応のマザーボードを選ばないと乗らなかったりしていた。
最後に出てくるのがメルコ(現バッファロー)という時点でなかなかのラインナップ。まあこのメルコは単純にどこかのメーカーのやつを発売してると思うので、今で言う玄人志向的なものに近いとは思うが。ちなみにこの時代のメルコは通称メルコダウンと言われており、なかなかの酷い商品が多かったことも忘れてはいけない。その名前があったかどうかはわからないが、その後メーカー名がもともとはブランド名であったバッファローに変わっていくのである。まあ当時のメルコのイメージは相当悪かったからね。
PART-1 ビデオ編集パソコンを作る
いきなり無茶っぷりを要求するパソコンである。当時のパソコンと言えばビデオ編集どころか音楽編集も結構苦労していた時代。そもそもHDDの容量的にも無謀である。そんななかこんなコンセプトで作ろうとするあたりさすがはPC自作派というべきか…。
すでにこの時点でなかなかチンプンカンプンではあるが、そもそもこの時代にわざわざIEEE1394で接続して使うという時点でクレイジーである。IEEE時代の普及率も低い上に、DVカメラはこれまた高額。あげく容量を考えると絶望的。まず320x240の解像度の編集でほぼほぼ限界、640x480以上となるとものすごく負荷がかかってしまう。なかなかにヘビィな状況なのである。
ここで見慣れない単語「ドロップ」というのが出てくるが、これは簡単に言えばフレーム数に対して録画速度が追いつかなくて一部フレームが落ちてしまうことである。今で言えばフレーム落ちといったほうが良いかもしれない。この時代はHDDの転送速度も遅かったため、こういうふうに速度的に足りていなかった。なので本格的にビデオ編集をする場合はHDDを専用で準備していた。1台のHDDでOS起動部に録画してしまうとほぼ100%ドロップしてしまうからだ。とにかくCPU占有率等を考えても無茶をしていると言うのは明らかであった。
記事は後半から抜粋しているが、かなりのトラブルに見舞われその際に色々と苦闘したという感じ。そもそもSCSIを導入している時点でかなり安定性が落ち込み、またキャプチャーカード等もあるのでIRQ絡みで相当面倒になるのは明らかで、この辺は組んでみないとわからない怖さでもあった。当時のパソコンは外部カード類をさして認識はすれが指しすぎたり癖のあるカードを指したりするととたんに不安定になりがちで、Windowsが2000になるぐらいまではこのIRQのおかげで出来ることがかなり限られていた。とにかく再インストールの嵐であったことは間違いない(体験談による)。
作った後の苦労談ということで。当時のCPUパワーでは動画の編集はまだまだ時期尚早。そんな中で作中の実体験として書いている。自分が動画系に触りだしたのはまだこの先だったが、それもこのPC自作派を見たことと当時それなりに簡易的なビデオキャプチャをしていたのだがとにかくCPUパワーがたりなさすぎてどうにもならなかったことで限界を感じたので読んでいて妙に同感したものだ。
ちなみに当時本格的に揃えるとここまで金額がかかる。それで結果がこのざまと考えればまだ早すぎたということだろう。だが、こういった無謀への挑戦もまたPC自作派の魅力であった。少なくともほかの雑誌ではこんな無茶企画はやっていなかった。いや、やらなかったというべきか。なにせほぼほぼ不可能なのだから。
はじめてのミレニアムII
前回のPentiumIIからの続きなんだけどなかなかにかわいそうなことに…
ライザーさんを救え
前回のFMVからの続き的なアレ。この企画はマニアック過ぎてごく一部の方面の人しか多分わかんないんだよな…。ライザーとか普通の人はまず組まないから。
PART-2 日本版プレサリオ2100を作る
このPC自作派はよくこういった無謀への挑戦をやりだす。こういった無謀への挑戦もなかなかに面白いのであるが。さてこのプレサリオ2100というパソコンであるがこの次のページで詳しく説明してくれる。要は格安PCであるがそれに挑戦するというなかなかに無謀への挑戦でまた楽しませてくれそうである。
メディアGXであるが今で言うグラボ内蔵型CPUと考えればよいだろう。それにプラスしてサウンド等も全部内蔵というわけだ。今のパソコンはサウンドチップやその他コントローラ等はすべてマザボで内蔵されているが、当時のマザボはサウンドや別売り、グラフィック機能無、もちろんCPUもグラフィック機能等なくまだ技術的にもオンボードでは難しかった時代。こういった統合型CPUは存在していなかったので、そんななかメディアGXは革命的とも言われていた。そう、一つだけ除いたらの話だが。
今で言うワンチップ構成に近いため比較的かんたんに導入はできる模様。
ご存知の通り、あまりにも遅いのが欠点である。とは言えこの時代の統合CPUなのである意味当たり前で、そもそもインテルがこの後に統合CPU(というよりもグラフィック機能搭載統合チップセット)を発売するのはPentiumIII時代のi810でようやくである。まだ早すぎたということだろう。
なかなかにフルボッコの模様…
新技術放談 第3回
AGPが発表された当時はまだPCIとの体感差はほとんどなく、単純にコネクタがグラボ専用になったPCIみたいな位置づけであった。この後x2、x4となり専用の市民権を得るのであるがこの当時はこんな感じの位置づけでもあったのだ。
LSI-120の野望
よくもまあこんなネタ的な企画を考えたもんだ…。どっちも難産どころか死産であった規格だったことは当時を知る人であればわかるのだが…。
PART-3 情報三昧くん
今でこそYoutubeやMP3プレイヤーなどで動画をみながら作業と言うのが当たり前になってきたが、この当時はそんなことはまだ夢のまた夢。そんな夢を叶えようというコンセプトでもある。しかしレシーバーはこれまた時代を感じる…。
この時代のコンセプトPCはとにかく値段がかかってしょうがなかった。逆に言えばコンセプトでなければだいぶ値段もこなれてきたと言ってもいいだろう。なお、本文にATXでの供述があるが、実はこのATX規格が広がってきたのがちょうどこの頃で96年頃から普及してきていて、このあたりから自作PCを組み始めた組はATXで組んでいたが、それ以前からの玄人集団はその前の規格であるAT規格で組んでいたユーザーが多かった。まあすでにATはほぼほぼ終了していてPentiumII世代からはATXへと完全に移行したのだが、それでもまだ最後のAT組がいたのがこの頃なのである。
なおDVD-ROMをこの当時で選んでいるので光学ドライブがかなりの高価格になってしまっている。サウンドカードも当時としては最高級のものでありこの辺を妥協することである程度の予算は確保できる。
このページに関してはどうしようか迷ったがとりあえず載せてみた。というのが無線に関しては自分もまるっきりチンプンカンプンであったからである。が、資料的なもので今回は載せている。
コンセプト通りなかなかの完成ぶり。アンプやスピーカー等こだわりも感じ取れる。もちろん予算を削ればなんとでもなるだけに比較的組みやすい部類にはなると思う。
バイオスアップグレードに挑戦
当時のBIOSアップグレード手順としての一例として。今と違って軽い気持ちでやるにはあまりにも敷居が高く、結構緊張していた。あげくアップグレードしたらむしろ不安定になることもありなかなかにダイナミックな状態もあったりした。
今であればわかるが、当時のこの時期にこんなコンセプトで作るとはかなりの漢っぷり。要はHUBを利用したインターネット接続的なものなのだが、当時は今と違って設定も結構面倒だった。よくやったなってのが本音である。
よくぞここまでといったぐらいだ。当時であれば超格安であろう。なお、一部の店舗が結構アレだがそれに関してはスルーということで。
ちと長いが当時のネットワーク構築方法として入れてみた。当時はまだLANケーブルの値段も高く、ここまでやるにはお金と時間と手間がかかるため皆そこまでやっていなかったというのが現実である。この後パソコンの値段が下がっていくに従ってこういった面倒をやらずに単純にHUBで接続してルーターから直接ネットワーク環境へと言う感じで現在に近い状態に変わっていくことになる。
総評:自作パソコンのパフォーマンス
最後に今回のパソコンの数値データより。参考パソコンがこの号からPentiumIIになったことで相当に格差が出てしまっている。これは今後進化していくに従って変化していくことになる。なお、メディアGXの数値の酷さがすべてを物語っている…。
今回はこれでおしまい。このシリーズは参照ページが多いのでちょっと作るのに手間がかかっちゃうね…。