DanceDanceRevolutionの稼働当時のゲーセン事情(EXTREMEまで)
DanceDanceRevolution(通称DDR)は先行稼働で1998/9/26より稼働スタートしたが、実質は改訂版のIRバージョン(1998/11/18)からと言ってもいいだろう。前期モデルまでのEXTREMEまでのときの状況をざっくり振り返ってみようと思う。
最初にDDRシリーズの稼働スタート時期を書くと
98/09/26 DDR 1st
98/11/18 DDR 1st IR
99/04/21 DDR 2nd
99/08/19 DDR Solo
99/10/30 DDR 3rd
99/12/16 DDR Solo2000
00/06/21 DDR 3rdPlus
00/08/24 DDR 4th ・ Solo 4th
00/12/28 DDR 4thPlus・Solo 4thPlus
01/04/27 DDR 5th
01/10/19 DDR MAX
02/03/27 DDR MAX2
02/12/25 DDR EX
※Plusの出回りは非常に少なかった
DDRは当初からプレイヤー数は結構多く、結構目立つゲームの割にはプレイヤーはかなり居たと思う。初期版のプロトタイプを導入したゲーセンは非常に少なく、メインはIRバージョンからのスタートとなるだろう。このときは珍しいタイプのゲームで、ゲーセンでも奥ではなく結構入口手前のちょっと目立つ場所においていた。というのもかなり場所を取るゲームでもあったため、単純に置き場所的なものも合ったと思う。だが、結果的にはそれが良い方に回っていたのではないかと感じる。
IRバージョンがでてからわずか2ヶ月後(99/4/21)に2ndmixが稼働スタートする。ちょうどこの稼働スタート直前にCS版のDDRが発売されていて、このときは専コン難民が続出し、都市部では予約すら出来ないという悲惨な状況ですらあった。
そんな中2ndmixが稼働開始するのだが、この2ndmixは出た当時から一気に大ブレイク。とにかく人人人であふれ、順番待ちがどこでも合ったというおばけコンテンツと言ってもよかっただろう。正直beatmaniaよりもはるかにこっちの方がプレイヤー数は多かった。
2ndmixでは前バージョンでもあった最難関曲PARANOiAを超えるPARANOiA MAXを筆頭に、コナミオリジナル曲も増えまたダンスマニア曲も先代からの曲をすべて再収録、新曲も入れて難易度も簡単なものから超難しいものまで幅広く、またこの当時はパフォーマーも存在し、プレイヤーは各々で楽しんでいるという感じであった。同時にPSの普及も大きかったと思う。PSでライトゲーマーが増えていて、それとDDRが非常に相性がよかったのだろう。1stの発売と2ndの発売が重なったこと、また2ndmix発売の2ヶ月後にはLinkVersionとしてPSのメモリーカードを使ったオリジナル譜面をアーケードでプレイできるように出来たりと、今では珍しくないが家庭用との連携をすることでさらなるプレイヤー数を増やしていった。
また稼働中に最新版の2ndmixの新曲を収録した2ndRemixを同年8/26に早々に発売。すでに稼働していたLinkVersionとの連携を更に強めることで再ブレイクが来たと言ってもいいだろう。
とにかくこの頃のDDR人気は本当にすごくて、多分今まで出た音楽ゲームの中でも一番盛り上がったのはこのDDR2ndmixの時代であり、DDRだと思う。今はなき新宿や茶屋町のチルコポルト(コナミ運営のゲームセンター)では週末にもなると大集団があつまっており、また茶屋町の方では店の外にDDRがおいていて、そこでプレイするのがある意味ステータス的なものになっていたものである(当然馬鹿みたいに目立つのでそれ相応の覚悟が必要ではあった)。これ夏とか人が集まるときの週末とかに行くと、まじで30人ぐらいがいてそのなかDDRで遊ぶとか普通だったから。誇張でもなんでもなくマジな話。
もちろん両店舗ともに店舗内にも筐体は数台あったので普通に遊べては居たが、それでも週末は5人待ちはザラでとにかくその盛り上がりは尋常ではなく、今の音楽ゲームで結構人が多いときもぼちぼちあるけど、このDDR2ndmix時代を実際見てきた側からすればあんなの全然大したことなく、普通に20分待ちとかどこぞのアトラクションなみの待ち時間がかかっていたわけである。それも1プレイ200円なのに(DPだと300または400円w)それでも並んでまで遊んでいたわけだ。
ただこのDDRも3rdmixからは少し落ち着き、もちろんプレイヤーはいるのだが、少しずつ減ってきていた。3rdmixはStepStepRevolutionという前作まではManiacであった難易度を独立させ、特殊モードでの発生をしたりと少々おかしな方向に行ったこともあったからだろう。同時に「高難易度=必然」というこういったゲームでありがちな思考なプレイヤーが増えたことで初心者が非常にやりにくいゲームになったこともあるだろう(これに関しては4thmixの際にまた2ndmix時代のように戻ったため単純に失敗だったと考えられる)。
またDDRもbeatmaniaと同様に派生モデルを出し、一人用専用として6パネルのSolo Bassを出したりしたが、結局このSoloはSolo2000、4thmixで打ち止め。失敗と言ってもいいだろう。Soloの失敗の原因は二人で出来ないこともあり、DDRで結構遊んでいたカップルや女友達同士で遊べなくなったことや6ボタンが結構難しかったことも合ったと思う(ただ6ボタンに関しては慣れるとそうでもないのだが、いかんせん最初の第一歩があまりにも敷居が高すぎたのが原因だと思う)
その後4thあたりまではまだプレイヤーはそこそこ居たが、5thから急激に減っていったと思う。これはbeatmaniaのときも話したのだが、音楽ゲームが増えてきて遊ぶ幅が増えたことが主な原因であろう。ただ2ndmixのときのあの頃を知ってる側からすれば信じられないぐらいの減り方であった。さらにまずいことにDDRMAXで収録曲を一新。過去曲はほぼなくなり、コナミオリジナルがかなり増えておりダンスマニアという一般曲が大幅削除されたことも影響されたのだろう。このタイミングで一気に激減したと言ってもよい。当時を見てもここで急激にプレイヤーが落ち込んでいったと思う。
DDRMAXではUI周りをかなり変更し、非常にわかりやすくなってただけにこれは非常に残念な出来であったとしか言えない。それに危機感を感じたのか自作のMAX2では新曲はもちろん、DDRMAX曲も引き続き収録、さらに削除されていた旧シリーズの曲もダンスマニア曲は版権の関係で難しかっただろうが、それ以外のコナミ曲に関しては再収録され、非常にバラエティとんだバージョンとなり、そこそこプレイヤーも戻ってきてはいた。ただ、全盛期の2ndmixと比べるとそれは酷な話であり、あくまでMAX時代に比べるとというわけである。
そして初期の最終モデルであるEXTREMEが稼働開始する。このEXTREMEは今までの削除曲はもちろん。版権曲でもあるダンスマニア曲も全部ではないが可能な限りの人気曲は収録し、家庭用DDRからの曲に他のBEMANIシリーズの曲も大幅収録という完全な新曲は少ないながらもそういったシリーズ収録を含めると過去最大の曲数を誇り、プレイヤーも最終作とわかった上で楽しんでおり、非常に長い間稼働を支えたと聞きます(本来のDDRはEXTREMEが最終作であった)。3年半もの間、筐体が壊れるまで稼働していたゲーセンは多かったと思います。正直稼働が長かったため、そこまで動いていない印象も強かったと思いますが、それでも3年半と考えれば非常に長期稼働でそれだけゲーセン側からしても実入りはあったのではないかなと感じます。
前期DDRの最終出荷の半年前はbeatmaniaのFINALが出ていた時期。先にも語りましたが、この時期コナミの音楽ゲームは整理に入っていたと思われますが、それでもDDRは出荷数も多く、beatmaniaと比べても筐体の撤去率も低かったことか、全国のかなりのゲーセンで稼働してたようです(beatmaniaはFINALが出る前に撤去していたゲーセンも多かった。多分これはIIDXの稼働が上がりすでに見切りをつけていたオペレータが多かったと思われる)。特に大型ゲーセンでなく地方のゲーセンでは営業面積の関係もあり、場所を取る音楽ゲームの設置は結構な死活問題だったので、それを差し引いてもDDRはまだ他の整理されたシリーズよりは稼働が取れていたということなのでしょう。なのでEXTREMEは非常に出回りもよく、まだゲーセンが地方にも都市部にも店舗数が多かったこの頃は普通に遊んでいた方も多いと思います。なにせ当時から人気のあったコナミオリジナル曲が満載でもあったEXTREMEは特に好まれていたと思います。
その後3年半を経て新作が急遽稼働されますが、かなしいかなこの3年半という年月は非常に厳しく、DDR筐体は経年による劣化&同時にゲーセン自体がこの2000年半ばから急激に閉店が増えていったこともあり、もはや体力のある大型ゲームセンターやボーリング場のゲームコーナーぐらいしか稼働がされないという悲惨な状況になってしまいました。
今にして思えばbeatmania3rdmixからDDR2ndmixの時代がゲーセン最期の輝きといってもいいでしょう。
「いやいや、まってくれ弐寺、ギタドラ、DDRも最新作が今もあるじゃん、他にもコナミ以外の音楽ゲームも全然あるよ!」
と言う人もいるでしょう。ただ、あの熱狂的な時代を見てきた自分からすれば、このDDR2ndmixが馬鹿みたいに稼働していた時期が本当にゲーセンの最期だったのだと思ってならないです。今のゲームコーナーではない、昭和からの流れを残したあの薄暗さがありつつもダークなイメージのゲーセンを明るいイメージに変えていこうとしていた頃がちょうどこの初期の音楽ゲームと重なって最期の輝きを醸し出したのだなと。このフィーバータイムが終わる頃(初期DDRが終了する頃)その役目を終えるかのように昭和からの流れを残していたゲーセンはゆっくりと閉店していきます。都市部に住んでる人はちょっとわかりにくいかもしれないけど、この後2010年ぐらいまでに地方では相当数のゲーセンが消えました。その流れは2015年ぐらいから都市部の方にも波及しだし、今はご覧の有様。新宿とか全盛期(90年代半ば前後)はゲーセンが20件近くあったからねw。
この音楽ゲーム初期の時代にゲーセンに行ってた人は格闘ゲーム全盛期に行ってた人たちとはまた違った意味で恵まれていたと思う。格闘ゲーム全盛期ははっきり言って殺伐としてた。そりゃあもう笑えるぐらい殺気が飛び合うとんでもない空間だった。昭和の薫りが残る店が多かったため、空気もアレだしとにかくやべえ時代だったw。音楽ゲームは少し違ってそういった殺伐とした感じはそこまで強くなく、緩やかな時代だった。自分はその両方ともちょうど経験したけど、どっちが悪いというわけではなく、単純に今よりも確実に熱気はあり、そして『人が多かった』。それもアミューズメントセンターみたいなクレーンゲームとかのほとんどおいていない昭和の残り香漂うザ・ゲーセンともいうべき店にも人が普通に多かった。
あの最期の輝きをリアルタイムに経験して思うが、本当に貴重な経験をしたんだなぁとつくづく思う。こういっては身も蓋もないが一つのジャンルの栄光と衰退、終焉を同時に見てしまった。アーケードゲームが憧れから身近な場所になりそして無くなっていく。『アーケードゲーム=憧れのゲーム』だった自分からすればやるせない思いばかり。家で遊ぶ家庭用ゲームやネットゲームでは絶対味わえないあの生の空間は最終的にはほぼ無くなっていくんだろう。最期の煌めきを体験出来たことに本当に感謝をしたい。