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サブカル回顧録

ゲームやコンピュータ等、一昔前の語り草

ゲーム機列伝⑧ プレイステーション時代のゲーム状況

プレステと同時期に存在したゲーム機を少し話してみようと思う。

プレステといえばやはりセガサターンも忘れてはいけない。

それまでのセガ任天堂に続く万年二位という状況でアメリカ市場ではメガドライブが絶好調だったものの、日本ではスーファミに大きく離されていてのだが、このセガサターンで社運をかけたゲーム機を出してくる。

さて、セガサターンの特徴と言うと一言で言えば旧態依然のゲーム機の集大成だということ。それまでのアーケードゲームで主流であったスプライト機能を重要視し、サターンの発売の1~2年程度前のアーケードゲームであれば余裕で移植が出来るレベルであったといえる。言い方を変えれば最強の2Dゲーム機とも言える。

もちろんこの方向性は間違ってはいなかったと思う。当時セガバーチャファイター2をアーケードで稼働していたが、まだそこまでの技術力は必要ないと思っていたのだろう。事実、サターンもプレステほどではないが3D表示は出来る設計にされていたわけで、単純に2D側に重視した設計にしていたのである。

この2D偏向型の設計は発売から2~3年までは効果があった。プレステよりも販売数も好調で、また同時に当時人気のあった2D格闘ゲームの移植はかなり高いレベルで、ストゼロシリーズやKOFシリーズ等の当時アーケードで人気を博していた二台格闘ゲームに関して言えば明らかにプレステ版よりも再現度は高かった。また、データの読み込み速度もプレステより速いこともあり、こういったアーケードゲーム中心のユーザーはサターンを選んでいたわけである。当然ユーザーはメガドライブと同様にある程度コアなプレイヤーが多くなるわけで、それをセガもしっかり理解しており、家庭用オリジナルソフトも多数発売されており、決してプレステ以下という感じではなかった。移植ソフトやオリジナルソフトもプレステ、サターン両方共リリースされるものも多く、むしろサターンの方が勢いがあったのである。

これがおかしなことになってきたのは、プレステの型式商法とも言うべきマイナーチェンジによる低価格路線。サターンはその設計上部品パーツが多く、また自社部品も少ないため本体の値段をなかなか下げられない設計だったのだが、なにせライバルのプレステはどんどん値段を下げていくわけで、それに対抗して値段を下げていくのだが、いかんせん初期の値段ですら逆ざや状態だったのが輪をかけて逆ざやがひどくなっていく一方。もちろんサターンもマイナーチェンジで新本体を出していくのだが、プレステに比べるとコストダウンは厳しかったらしく、かなり苦戦を強いられていたようである。

そんな中トドメはFFVIIの発売。FFVIIが出るまでは本当にいい勝負をしていて、サターンはむしろ優勢だったのだが、プレステでFFVIIが出てしまった時点で終了。これ以降完全敗北したかのごとく下落していき、敗戦処理の様相へと変化していく。

最終的には敗北宣言後にドリームキャストへと進むのだが、ここで間違ってほしくないのはサターンは決して駄目なゲーム機ではなかったと言いたい。

サターンには名作といえるソフトがプレステほどではないとは言え、数多く発売されており、特に格闘ゲームの移植に関してはピカイチと言ってもいいだろう。初期に発売されたサターン最初で最後の100万本突破ソフトでもあるバーチャファイター2はフレーム数こそアーケードと違うものの(アーケードでは57.5フレームと言う妙な数値)プレイ感覚はほとんど変わらず、このサターン版からデビューしたという人も多いだろう。

中でも拡張RAMを使用したKOFシリーズ。特に95に至っては専用カートリッジを準備したことにより、当時としては考えられない高速アクセスを実現し、また移植再現度もほぼそのまんまという完成度で、当時のネオジオCDユーザーを逆なでさせたという伝説を持っているぐらいである。

他にも4MB拡張RAMを使用したXMENvsシリーズやストリートファイターZERO3、当時全く移植されていなかったD&D等のカプコン系のゲームの完成度は非常に高かった。特にZERO3はサターンのみのオリジナルモードも多数入っており、発売こそ最後発だったものの、その完成度とボリュームには衝撃を得た。

主に格闘ゲーム系が多かったとは言え、当時最後の最強2Dゲーム機として君臨していたサターンは決して駄目なゲーム機ではなく、ただ当時のアーケードゲームの進化スピードが想定以上に早かったことにより難しくなったというのが正しいと思いたい。

自分はプレステもサターンも両方共持っていたが、そのどちらにも得意不得意があり、一般的にはなかなか2台持つことは難しいという状況ではあるが、自分の周りのゲーム好きの大半は2台とも持っており、得意不得意でゲームソフトを分けて購入をしていたのである。なんとも贅沢な使い方ではあるが、当時のゲームソフトにはそれだけの投資をするだけの魅力が秘められていたとも言えるだろう。

また、当時の次世代機といえば、PC-FXを忘れてはいけない。こちらは出た当時から非常にきな臭い雰囲気がぷんぷんしており、残念ながら周りの友人の誰もが購入しなかったのだが、やってることがPCエンジンのマイナーチェンジみたいなもので、とにかく動画アニメーション重視という、当時からしても斜め上のスペックで「いくらなんでもこれはないだろう…」と思っていたとおり、まったくもって売れなかった。

その他バンダイからの挑戦と言うべきか、ピピンアットマークにプレイディア。当然ながら全く売れなかった。ピピンは廉価版マッキントッシュという感じだったが、いかんせん高すぎた(49,800円)。あと、当時のマックはWindowsフィーバーに押されて完全に話しにならなかったというのもあるだろう。また、プレイディアはさらに意味不明なゲーム機であった。ゲーム機というよりも、流れている動画に対して選択肢を選んでいくというアニメなのかゲームなのかよくわからないゲームが多く、売れるわけないよ…と思っていたけどやっぱり売れなかった。後日死ぬほど値段が落ちたときに、車のカーステ用に購入した人がいたとか聞いたことはあるが、当時買ったという人間を自分は聞いたことが無い。

他にも初代次世代機3DO。スペック以前に値段がすごすぎて相手にもされなかった(54,800円)。あとはソフトがまったくなかった。なかったというのは語弊であるが、単純に言えば魅力的なソフトが皆無であったということである。ストリートファイターIIXを一応出してはきたが、すでに話題はプレステやサターンに移っていて、まったくもって相手にされていなかった。どうもパナソニックと言うか松下電器はこういうことに関しては駄目というかどんくさいというか、Beta、VHS戦争と同じようにしようとしたんだろうけど、ゲーム業界には通用しなかったということでしょうか…。まあ、単純に戦略版が頭悪かったというか…。

そして、最後の次世代ゲーム機N64。決して悪いハードではなかったが、当時の任天堂の態度が悪すぎた。スーファミまでの方法でやりたい放題やってきてた流れでN64でも引き続きそれをしようとして大顰蹙。結局サードパーティからそっぽを向かれて自社ソフトのみで挑むことになり、これではさすがに多勢に無勢。決して悪くないハードであり、ソフト面でも悪くなかったのだが、それ以上に発売タイミングの遅れ等もあって、すでに大きく差をつけられたプレステには全く追いつくことも出来ず、ほぼ自社ソフト中心で戦うラインナップ、また飽きられ気味であった任天堂ゲームも相見って苦戦を強いられることになる。ただ、若年層からの支持は絶大でそういった層からは非常に購入率が高かったという話でもある。ただ、任天堂のN64の失敗は今も続く任天堂据え置きハードにおけるサードパーティ不足に未だ続いているのも皮肉な話である。ちなみに任天堂はまだこの頃は最新のシステムでハードを作っており、今のような一歩引くようなゲーム機ではなかった。

他にもニッチな方に需要があったゲーム機としてネオジオもあるが、どっちかといえば家庭用ゲーム機ではなく、アーケードゲームに近いものになり少し趣旨が違うので、これに関しては次回に語ることにする。

こういう感じでプレステの時代はまさに任天堂セガ、NECの作ってきたゲーム市場にソニーが喧嘩を売る感じで始まった時代でもあった。最終的にはこの群雄割拠の時代はソニーの勝利で終わることになるのだが、その間にはまさにドラマが有ったと言ってもいいだろう。ソニーの参入から始まり、セガソニーの対決に続き、NECの脱落。任天堂の遅すぎた対応といろいろと理由はあるが、プレステが勝った最大の理由はスクウェアFFVIIだろう。ソフトによってハードの勝者が決まる。まさにプレステの時代はそういう時代であったのだ。

ただ、残念ながら日本のゲーム市場はこのプレステの時代のピークに縮小気味になる。理由は色々とあるだろうが、一番の理由は団塊Jr世代(俗に言う最初のファミコン世代)が学生から社会人へと切り替わっていったことだろう。他にもバブルの残り香がまだあった時代、その膨れ続けていったゲームバブルがいよいよ終焉を迎えていたとも言えると思う。他にも開発費の高騰等もあるが、結局こういった要因が原因でこれ以降日本のゲーム市場は斜陽産業へとなっていく。

ただ、これも逆に言えばゲーム機が一家に一台という感じになってしまってゲーム自体が当たり前のようになってしまったがゆえに安定したとも言えるわけだが。正直当時を知る者からすれば今の惨状は本当に信じられないんですけどね…。ただ、自分をとってみても一生ゲームはするんだろうなと思っていたプレステ時代から考えるとほぼゲームをやらなくなっているからあながち仕方ないのかなとも思ったりしますが…。