Windows95時代の自作PC事情:PC自作派 Vol.5より
今回はVol.5、98年1月号から。
いよいよPentiumIIも普及し始めてきており、旧規格でもあるSocket7系はかなり安価に組めるようになってきた時代になります。
表紙
時期的にちょうど過渡期に近いため、自作ネタが少々厳しい模様。個人的にはリムーバブルドライブはこの時期かなり注目されていたためこれに関しては気になっていた。自作例に関しては今ひとつ微妙な感じ。
Windows95の完全版とも言えるOSR2の記事から少々マニアックなC6プロセッサまで。このC6プロセッサは一部マニアにはなかなか人気があったようで、また当時すでに終焉に近かったPC-9821シリーズにポン付けで乗るとの情報もあり、一部の奇特な方々の間でプチブレイクしていたよう。だが、いかんせん扱っている店舗がかなり少なく、また秋葉原ぐらいのクラスの街でないとそもそも売っていないということもあってごく一部の間でというイメージは拭えなかった。と同時にサイリックスの6x86の生産終了。このサイリックスはこの後結局ぱっとしないまま終わってしまう。同じ互換メーカーでも独自路線で光を見せ始めていたAMDに比べるとなんとも光と影というべきか。この当時はサイリックスの方が実はネーミングバリューは高かったというのも今から考えると感慨深い。なお自作ノートパソコンに関してはまあ無茶だったと言う一言で…。
特集:リムーバブルドライブにこだわる自作
この頃はポストFDD、CD-ROMとして何が本命なのかというのがよく話題になった。ここに上げているのは実に当時の規格であるがその大半がすべて独自規格。この時代はこれだけのリムーバブルメディアの規格が合ったわけで、そりゃあ間違ってマイナー規格を選んだ日には目も当てられないことになる。一応日本ではMOがすでに普及しており、またCD-ROMは世界標準的な扱いもあって、本命としてはCD-Rとしても問題はCD-Rは一度のみの書き込みという書き込みオンリー規格なため、どうしてもデータのやり取りという意味でリードライト対応型が必要になる。それも含めてのポストドライブだったわけだが、やはり当時からMOが一歩抜きん出ていた。なにせ当時はUSBもようやく普及し始めた時代で速度もUSB1.0(12Mbps)。USBメモリなんてもちろん存在していない。ただFDDでは明らかに容量が厳しい。なのでデータ移動用として何を選ぶのかが重要な問題でもあった。
結論から言えば今回紹介するリムーバブルメディアはすべて生き残っていない。唯一光メディアで現在はBDへとバトンタッチしたCD-ROMメディアのみが一応生き残りはした。この最初の三種類に至っては21世紀までもたなかったのが実情でつなぎにすらならなかった。
こちらはMOドライブ。なんだかんだで最終的には1.3GBまで拡張され、かろうじて生き残ってはくれた。が、こちらも現状は終了している。やはりコスト問題が一番だったのだろう。CD-Rからのメディアの価格破壊、またCD-ROMドライブはほぼすべてのパソコンに搭載されておりデータのやり取りは非常に楽になった。CD-Rが使い捨てメディアとしてあまりにも優秀になりすぎたがゆえにその役割を終えたということだろう。
この時代からSCSIとATAPIでの賛否はあったが、結果として言えばこの時点でのATAPIはまだ早すぎたというべきか。ライティングソフトが対応していなかったり、またまだまだCPUパワーが非力だったため、ATAPIへのCPU占有率等がありライティングミスが出るのもまた事実であった。ATAPIのCD-Rドライブが市民権を得るのはこれからまだ先になる。初期の頃のATAPIは特にSCSI原理主義者からは邪険に扱われていたのである。
こちらはまだ出たばかりのCD-RWドライブと異端児PD。CD-RWドライブはまだメディアが高い上にCD-RWメディアの書き込み速度も遅かったこともあり、まだまだ早すぎたというべきで、実際はまだ普及は難しい状態であった。PDに関しては完全に異端児。早すぎる以前にあまりにもニッチ過ぎて当時PanasonicのデスクトップPCでもあったWoodyシリーズぐらいしか搭載されておらず、あまりにもユーザーが少なすぎて話にならなかった。
こちらSyQuestはリムーバブルHDDになる。ガチャコンタイプのカートリッジ式で結構使い勝手も良かったのだが、これに関してはその後のHDDの劇的な進化により容量あたりのコスパが悪くなり、それによって追い込まれてしまったという感じだ。1年もたてばHDDの容量がどんどん増えていくため完全に置いてけぼりになってしまった。
ご覧の通り結局メディア単価の安いものと本体価格がこの先落ち込んだものが普及している。そう考えるとCD-Rドライブは非常に優秀だったということになる。この後CD-Rドライブは一万円を切ってくるのだが、それ以外のドライブはせいぜいZIPが一万円をきれるぐらいでその他は全く話にならなかった。価格で最初から勝負がついていたことは間違いないだろう。
今でこそ当たり前の多コアCPUであるが、当時はもちろんこんなことはなく1コアであった。そんな中複数のCPUを乗せることで物理数=コア数という環境にするという人もほんの一部でいた。なにせ当時のWindowsはまだ95。複数コア対応のWindowsはNTになる。幸運にもこの頃はWindows98に先立ちWindowsNT4.0が発売されていた。今回はこのNTを載せてやろうというわけであるが、なかなかこんなニッチな企画をよく持ち込んできたなと今なら思う。
Socket7を選んでコストはわかるがHDDによりにもよってチータ選ぶとかなんかすげえチャレンジャーな構成だった。チータはたしかに当時としてはかなりの高速HDDであったがその代償は強烈な温度。こんなもの使う時点でかなり凄まじいことになりそうではある。
正直な話SCSI-HDDへのWindowsのインストールは結構面倒でそれを考えてもかなり手間がかかっただろうにそれでいてRAID環境まで作っているのだから恐れ入る。多分に当時は編集部の人々も結構楽しげにやってたんだろうなと思う。普通であったらこんな危険な構成は怖くてできない。まさに雑誌の企画であるから楽しみながら出来るのだなと。
正直このRAID-0が一番効果が出ただろう。当時のHDDのRAID-0は本当に数値上の速さが実感でき、リアルで起動時間その他が全部2倍になるという代物だった。その分吹っ飛んだときのダメージはでかいのだが、それでもSSD全盛期になるまでのRAID-0の効果は絶大だったのは間違いない。
何よりも当時はデュアルCPU自体がかなりレアでその環境に持ち込むまでが本当に大変であった。ただ、見ての通りHDDを妙なチータにしなかったりSCSIカードを使わなければ相当安価で組める時代にはなっていた。そういう意味ではこの企画の意味もあったんじゃないかなと思う。実際NTの壁さえなければ試してみたかったものだ。
はじめてのAGP
ほとんど出落ちに近かった…w
PART-2 ソケット7最強マシンを作る!
すでに円熟期をすぎ、少し枯れ始めたソケット7PCを作るという企画。当時はまだPentiumIIも微妙に値段が高く、440BX待ちも多かったためあえてつなぎでソケット7という選択肢もありであった。
ここまで考えておいて最終的に選んだマザボがSiSと言うのがまた恐れ入る。怖いもの知らずというか当時はインテル系チップセット以外は総じて地雷と言われており、普通ならまず選ばないからだ。
このあたりは結構データ的に面白かったりする。ベースクロックは基本ソケット7は66Mhzなのだが、ここを調整して75Mhzや83Mhzにして動かした場合のデータである。安定度から言えば66Mhzが一番なのだがこういったチャレンジも当時は往々にして行われていたのだ。
なかなかに金額的には厳しいと思うだろうが、メモリとグラボ、CPUをうまく調整すれば十分コストは落とせる。そういったことを考えた場合コスト的には全く問題は無いのではないだろうか。多分この時期が一番最後のソケット7だったと思う。この後インテルがCeleronを出すことになりそれによってソケット7は完全に終わってしまうわけだから。
PART-3 Aptiva衝撃の改造計画
今回はなんと486マシンの復活。なかなかに無謀な企画ではある。なおAptivaとは旧IBMの出していたWindowsパソコンの商品名。今言われてもまあ分かるわけもないが…。
当時はパワーアップキットなるものが発売されており、これを使うことである程度パソコンに詳しくなくても改造できたりした。が、初戦はある程度であり結局は知識がないとどうにもならなかったのは間違いない。もちろんこういったキットは通常店舗ではなかなか入手しづらいのでかなりニッチなものにはなるのだが。
結果的には486からに比べれば進化はしているがコストを考えるとまあまあなんとも言えない。少し頑張れば通常で購入できただけになんとも言えないという感じでもある。
ビデオカード3D体感対決
こちらは当時のグラフィックチップ事情から。この時代はまだ3Dは出たばかりでPS以下の性能だらけ。そんな中どれが一番速度が速いかということなのだが、結局nVidiaのRIVA128の圧勝で終わる。そしてその後nVidiaの独走がスタートするわけである。今のGeforceシリーズの始まりもこのRIVA128の驚異的な性能からでそう考えるともう20年近く前なんだなと実感を感じる。
PART-4 10万円でオーディオパソコン!
今回の10万円パソコンのコンセプトはオーディオ。すでにパソコンもパーツの値段がかなりこなれており、10万円でも十分動くものは自作できたのだが、そんな中オーディオに特化して使いやすいパソコンを作ろうというコンセプトである。
10万円とは言えパーツを上手く厳選することでかなりコストは落とせる。特にこの時期はソケット7も底値に近く、かなり選択は簡単になっていた時期でもあった。
サイリックスを選んだ時点でインテル系のチップセットは排除になる。それにしてもかなり安価で入手できるようになったものだ。メモリも最低限とは言え32MBとこの値段では十分に及第点。その他パーツもごくごく普通でかなり安価になっては来ている。まだこの時代はキーボードやマウスが結構値段が張るのも厳しいがなんとか形にはなってきているのも感じ取れる。数ヶ月前はかなり厳しかったことを考えてもそれはよくわかるだろう。
結局普通に動くパソコンであれば10万円でいよいよ組めるようになってはきた。これによって今後は10万円でどこまで高スペックに出来るかという時代になっていく。この後にCeleronが出ることでそれはさらに加速度的に進んでいくわけである。
総評:今回のパソコンのパフォーマンス一覧
参考パソコンは相変わらずPentiumIIを使っているため一歩抜きん出ている。とはいえだいぶ追いついてきているのは明らかで、今後はこの参考パソコンが本当に参考程度になっていくのだがそれはもうちょっと先の話ではある。
今回は以上。あいかわらず書籍取り込みだらけだがまあ勘弁してくだされ。