Windows95時代の自作PC事情:PC自作派 Vol.6より
1998年4月号より。タイミング的にはベースクロック100Mhz対応CPU(通称PC100)がちょうど出るか出ないかの頃。パソコン業界が大きく変わる節目の頃である意味過渡期でもあった。
表紙
この頃のパソコン雑誌はなかなかに進まないPC100にヤキモキしながらもなんとか繋いでいっていた時期でもあっただろう。どうしても選択肢が難しいからかSocket7での作例あたりに苦しさを感じる。とはいえPC自作派は結構こういったチャレンジャーな自作も多かったので見ていて面白かったが。
裏表紙のI willの広告がまた時代を感じさせる…。
目次・特集
今回はこんな感じ。テレビ電話パソコンなどという結構当時としてはかなり無茶なコンセプトで作っている。またUNIXマシンで家庭内サーバもなかなかの内容で、普通じゃこの時代にこんなダイナミックな企画はたてない。また地方巡業編はまだまだ地方での自作ショップが少ない時代に非常にありがたい特集だったと思う。
主にPC100であるが、インテルのグラフィックチップの740もちょうどこの時期。なおインテルのグラフィックチップはこの後ぱっとしなくなるが、この頃の技術が内蔵グラフィック機能へとつながると思われ、そう考えると今のCPU+GPUの基本はこのあたりから考えられていたのだろう。また動かない100Mhz対応メモリやSLOT1互換チップセットなど結構怪しげなパーツのネタも…。ちなみにこの時期に100Mhz対応メモリを購入した人は相当な人柱。さらにSlot1互換チップに至っては参入したところで見向きもしてないかった。
巻頭特集:Windows95だけがOSじゃない
特集ではUNIX等色々とあるが、結局選択肢はかなり微妙で無理やりWindows以外にスポットを当ててみたという感じで否めない。結局選びようのないWindowsを選ぶしか無いという感じである。他のOSを買っても何ができるかもわからないので余計に…。
PART1:ソケット7&AGPで次世代標準機を作る
さりげなく中級・新製品人柱編というところがポイント。この時点で普通の人お断りのなかなかパンチのある企画でもある。これでこそPC自作派。こういう人柱企画は見ていて非常に楽しんだものだ。なお自分では絶対に選択しなかったw
色々と凄まじい企画であるが、Socket7+AGPの組み合わせは相当に相性があり自作界隈では当時から見えている地雷とまで言われていた。それをあえて選んでいるところに気合と見えている地雷を踏みに行くという漢気を感じた。
なかなかに今や珍しいグラフィックチップ比較。この中で今も生き残っているのはnVidiaだけというのも凄まじいが、別の意味で言えば20年以上一線で頑張っているのもnVidiaなわけでそう考えるとすごいメーカーなんだなと改めて思う。
最終的には旧規格のSocket7及び出たばかりのAGP、Windows98はまだ発売されずと言った感じで非常に不安定なものになった模様。新規格はこういった過渡期には選びづらく、そういうことを考えるといい参考になったものである。なお他の雑誌ではあまりダイレクトに不安定ということは記述しない傾向にあるため、シッカリ書いてくれるだけでもありがたいものであった。
PCゲーム機化計画
見ての通り時代はまだまだGlide時代。Voodoo一強時代の当時の時代背景的なものが描かれている。
CPU体感対決!
ここでマニアックなC6特集。このC6は相当マイナーなので知ってる人はかなり少ないと思う。スペックが云々よりもその格安なところと当時PC-9821シリーズでポン付けで動くということもありそういった意味で売れたCPUでもあった。
PART2:時期尚早!?テレビ電話パソコンにチャレンジ
今でこそスマホを使ってかんたんに音声チャット及びテレビ電話チックなことができるが、当時はそんなものできるわけがなく、スマホが出る前もSkype等でやっていたごく一部のユーザーがいたぐらいだ。そんな2000年以前にこういったことを考えるだけでもかなり気が遠くなりそうなのだが、実際どうだったのか?なおこちらは中級となっているがコンセプト的に中級であるので実際はテレビ電話での機材構築以外はそこまで癖がないパソコンになる。あくまでコンセプト的にと言う意味だろう。
なにせカメラを買えばとりあえず大丈夫という時代ではなく、そのためにはスピーカーもマイクも、サウンドカードもいる上に当時はグラボも必要。さらに通信用のモデムも別売りなわけでとにかく最初に考えただけでも相当な予算が必要になる。もちろん専用のソフトもいるのでとにかく初期投資がすさまじいことになる。
結論からすれば時期尚早ということだが当然だろう。多分編集部側もこうなるのはわかっていたとは思う。というのもある程度リサーチしつつテストしつつでの企画のゴーサインだったのだろう。ある程度テストしたところでの本格作成だったと思うし、なにもないところでいきなり企画を出すわけでもないからだ。ただこういった未来への道筋も今後の参考になるし、結果的には20年以上たった今では当たり前になったからだ。ただ固定電話ではなくスマホを使った携帯型端末というさらに上の技術で実現したわけであるが。
PART3:ハイスペックは必要なし!UNIXマシンで家庭内サーバ
なかなかにすごいコンセプトである。もちろん難易度は難解。これは当然で当時のUNIXはMS-DOSのような完全なコマンドOSで普通では扱えるレベルではなかった。もちろんビジュアルOSモード(Xwindow)もあるにはあったが完全に設定が変更できずとにかく難しいOSでもあったのだ。
そもそも重いOSではないので余剰パーツから作るというコンセプト。どちらかと言えばいらなくなったパーツの寄せ集めまたは古いPC-98シリーズの再利用でという感じに近い。なのでわざわざ購入してまで構築するのはどうかとは思う…。
見ての通りなかなかに厳しい。そういえばsambaとかあったなと思う…。
このパソコンのコンセプトはこんな感じで、結局自分でパソコンを弄り倒し、UNIXというものを楽しみたいという人向けであろう。結果としてはホビーやビジネス系でなくサーバー構築と言った当時としては少々マニアックな方々に対しての企画だったと思う。それぐらい敷居が高すぎるのである。
パーツ医療センター 相性問題科
今では珍しいが当時は当たり前だった相性問題。このメモリ問題は結構多く、実際にチップの配列や大きさによるものは結構あったりした。最近では同メーカーが2枚セットで売ったりしていてメモリも安価なため追加選択をするというのも珍しくなったが、当時はメモリが高かったため、最初に1枚購入して先々もう一枚ということも多かった。さらに技術進歩が早く、同じ容量のメモリなのでチップの数が違うということもあり(チップ単位あたりの容量が違う)その場合よく相性問題が発生したものだ。特に多かったのが1枚ずつであれば問題なかったのに2枚同時だとだめになるといい感じである。
素朴なギモンに挑戦
SIMMとDIMMの混在やカセットテープのデジタル化など今からすればなんてことのない質問であるが、SIMMとDIMM混在はちょっと今の人にはわからないかなと思う。
PART4:九州・博多 PC自作と博多明太子と長浜ラーメンの旅
これを見ると博多の自作系ショップも相当数が減ったのだなと感じられる。ちなみに90年代にCMで有名だった龍龍軒は今も健在である。ホークスがダイエーバージョンなのに時代を感じる。
今回のパソコン
今回はここまで。PC自作派は全部持っているので、終わるのに計28回予定。まだまだ多いのだが、これから先はCeleron等出てきて一番自作が盛り上がっていく時期になる。