サブカル回顧録

ゲームやコンピュータ等、一昔前の語り草

今までパソコン用記録メディアで見たことがあるもの⑤ CD-Rメディア編

 CD-Rドライブの初期の時代からどんなメーカーがあったのかその時々のはやりも含めて話してみようと思う。

setoalpha.hatenablog.com

CD-Rドライブが大体普及し始めた時期(ちょうど4倍速書き込み)はまだメディアの数も多く、選択肢はかなり多数あった。売られているのは今と違ってほぼ全部が国産というそんな時代。

初期に人気があったのはTDKと三菱。TDKは濃いオレンジで三菱は青色だったかな。記録層の色素にはTDKはフタロシアニン、三菱はアゾ。というよりも三菱は独自に開発したアゾ色素のみを使っており、実質三菱以外はフタロシアニンで三菱だけアゾと言う感じである。フタロシアニンは濃い緑色でアゾは紺色に近かった。データを焼くと少し明るくなるので焼いた後と言うのは層の色の違いですぐわかる。データギリギリまで焼いてしまうと少し分かりにくいが、慣れればそうでもない。このあたりは今も同じだろう。この頃はこの二社の独壇場でほとんど好みで選んでいたものだ。当時のTDKは今と違って国産で品質も非常に高く、後にタフネスコートが採用された初期の8倍速メディアぐらいまでは国産を維持していた。それ以降は台湾製になり同時期に値段のこなれてきた太陽誘電製にユーザーは移っていくが、これはマニアのお話であり一般的にはTDKのメディアは普通にこなれて売られていくわけである。

対照的に三菱のメディアも非常に評価がよく値段もこなれていたことからよく買っていた。大体この時代はメディアが2~4倍速対応までしかなく1枚あたり180~240円ぐらいする時代で当時まだ健在であった秋葉原のエフ商会あたりで5~10枚ぐらいを買っていくという感じであった。この三菱メディアだが非常に安定していたが、ある時期から腐食問題が出てきて一気にシェアが落ちた。と言うのもこれは本当に腐食していき、外周面のレーベルが腐食によりはげて来るというもの。実際自分もこれはなったことがあり、やばいと感じたときは急いでバックアップを取り直して処分していたが、レーベル外周のコーティングの弱さが明らかで、1年ぐらい使っているとうっすら剥離する感じであった。この腐食問題はちょうど4倍速ドライブがかなり普及期にはいっていた時期とかぶり、かなりの数のメディアを買っていたため、その置き換えにかなりの金額がかかってしまったこともある。その後安定性を増したモデルに切り替わった際にはまた買ったりしていたが、一時期怖くて買えなかった時期もあった。

またこの普及期には他にも多数メーカーが参入しており、マクセルやMITSUI等も買ったことが有る。4倍速ドライブがまだメーカー的に揃っていない初期の時期はメディア相性なるものも若干存在しており、どうしても一度安定して焼けるメディアを買い続ける傾向にあったためTDKや三菱を選びがちであったが、さすがにプレクやTeacがドライブを出し始めた時代になるとドライブ自体が安定してきたのかそこまでメディア相性も出にくくなり、当時のネットでの評判や値段等を見ていろいろなメディアを買っていた。マクセルは裏面が比較的明るく焼いたもいまいち分かりにくいメディアであったが特に何も問題なかったし、MITSUIは音楽用として非常に高評価を得ておりその分値段も高かったが音楽CDにこだわるユーザーの間では鉄板メディアとして有名だった。

その後8倍速のドライブが普及し始めてくるとメディアも少しずつ変化をしていき、TDKのタフネスコート(国産)と太陽誘電の2社でほぼ決まってくる。当時はCD-Rメディアもだいぶ値段がこなれ始め、スピンドル50枚で1,400円を切り始めており、当時は秋葉原あきばおーあたりでメディア専門の店もあったことから週末になるとお客も大量に押し寄せ購入していた。そして最終的には太陽誘電1強時代へと突入していく。これ以降CD-Rメディアは価格もほぼ変わることなく、大体1,500円あたりを境目に推移していくことになる。ただ最安で1,100円ぐらいまでは落ちたと思う。

そんな中粗悪なメディアが出てくるのも世の流れ。当時有名だったのは台湾のライテックとプリンコ。ライテックはまだましな方だったが、プリンコはとにかくすごかった。値段も1枚15円ぐらいの捨て値みたいなものだったが、なにせ消える魔球というネーミングが与えられ、その通りにデータが消えまくっていた。ある程度暗室に保管することでなんとかなるレベルではあったが普通にその辺に転がしていたら1ヶ月もすればまず死亡するというウイルスみたいな存在。知り合いが洒落で買ったりしてて、まあデータ等一時保管するぶんにはいいよ、みたいな感じで話をしていたがさすがに怖くて買えなかった…。

そんなCD-Rメディアも時代の流れから国産品は少しずつ減っていき、最終的には太陽誘電製以外はすべて台湾製へと切り替わっていく。初期の切り替わった直後は避けていたが、数年立った今ではそこまで品質もばらつきがなくなってきており気にはならなくなった。特に田舎の方では太陽誘電製のメディアは売られていないことも多く、そういう場合は三菱メディアを購入するしかなかった。三菱メディアも台湾製に切り替わっていったが切り替える際にわざわざアゾ色素をもちこんでまで切り替えていたということで、そういう理由で買っていた。フタロシアニン色素が悪いというのではなく、当時の台湾製のメディアはこの色素を少なめに調合して使っていたと言う話で(要はコストダウン)それが理由で消えやすかったと言うのも語られていたぐらいで、とにかく品質があまりよくなかったのである。三菱メディアはそんな中、自分たちで色素は持ち込んでいたということもあって地元に戻った際は三菱メディアを贔屓にして買っていたのである。

ちなみに我が家には90年台後半に購入した国産のメディアが数枚まだ残っている。TDKのタフネスコートの8倍速にMITSUIの8倍速。太陽誘電の8倍速と最後の高品質だった時代のメディアの生き残りと言っていいだろう。永遠に暗室に保管されているが、多分永遠に使うことはないと思う。結局当時のデッドストックに近いものなので使ったらおしまいという意味合いが強すぎてもはや永遠に使えなくなってしまっているのだ。

今やそのCD-Rメディアもほぼすべてのメーカーが台湾製に切り替わり太陽誘電は光磁気ディスク自体から撤退。わずか20年強でがらりと変わってしまった。音楽CDもスマホ等のデジタルミュージックに置き換えられ、レンタルCDやituneストアが当たり前のように存在してる今の若年層はCD自体買ったことも無いかもしれないだろう。ポータブルCDプレイヤー自体が大手メーカーから発売されていない現状がすべてである。

パソコンの進化の大きな影響を与えてきたCD-ROMも、同じようにパソコンの進化によって消えていっているのだが、CD-Rによって可能性がどんどん広がっていったWindows95~98の頃のあの嵐のような一瞬は今でも忘れられない。データ保存にオリジナル音楽CD作成まで何をやっても面白いときだった。

次回はCD-Rドライブを使った当時の使用用途その他を思い出しながら話してみようと思う。PSやSSにWindows等々当時はそりゃあやりたい放題でしたよ。